賛美歌

How can I keep from singing ? (歌わずにはいられない)

私の人生は流れゆく  終わりのない歌に乗り

悲しみに沈む大地の上を

はるか遠くから  賛歌が確かに聞こえる

新たな創造を称える賛歌が

心の奥にある平穏を手放さなければ

いかなる嵐にも揺るぐことはない

愛が天と地を司るのだから

歌わずにいられようか

目を上げれば  雲が薄れ

その上に青い空が見える

愛することを初めて知ってから

日を追うごとに  この道はなだらかになる

平穏と愛の力で  私の心は生気をとり戻す

絶え間なく湧き出る泉のように

私が主のものであり  すべては私のものだから

歌わずにいられようか

※昔から賛美歌には何か遠く魅せられるものがありました。いろいろな賛美歌を聴いていると・・・最近はイエスの12弟子時代のときのトーマスがイエスの死後、イエスの教えを純粋に伝えるために、教えをしていた教会のあるいつもの場所で「イエスにこれでよいのでしょうか・・・(!?)」といつも問うている私自身と何度も出遭います。

そして、その次の生まれ変わりの人生でも30代前後の青年で牧師をしていた私が蘇り出遭いました。イエスと出会う前のある前世ではエッセネ派のうら若き青年でした。

今、現在にあるたくさんの既成のキリスト教関連ではなく・・・常に純粋などこにも帰属しない古(いにしえ)から未来永劫へと続く教えを私自身が求めて来たことが私なりに理解・認識ができました。

ときには間違った方向へ歩いたときもたくさんの前世であるかもしれません・・・ その間違いがあったからこそ修正しなければならないことに気づく学びが訪れ・・・あるときは感情であちこちにぶつかりながら、また涙しながら・・・数えきれないくらいの私という人生を輪廻転生して来たのだと思う。

そのどの場面も・・・私自身が創造主の父の処へ帰る道に至る礎であったことが今なら理解できます。泥沼に根を張る蓮の花は・・・蓮の花を眺める私たちには、根を張る泥沼のなかのことは知る由もありません。

私たち、一人、一人が歩く人生も・・・やはり、蓮の花と同じことに気づくのです。

水面に浮かぶ蓮の花は、なんともいえない郷愁を誘い本当に見とれてしまうくらいきれいです。

私たち、誰もがある時期が訪れれば・・・霊的に胸にピンクのバラの花が咲きます。その後、そのピンクのバラの花は時期が来たら、やがて黄金に光輝くバラの花となります。その黄金に光輝くバラの花に朝露のような透明感のあるしずくが見(視)てとれます。

そして・・・ある時期がまた訪れたら今度は胸に小さな蓮の花が咲き、黄金に光輝くバラの花と入れ替わるようです。

胸に咲いた最初は小さな蓮の花も・・・様々な学びや気づきをその都度、克服し乗り越えることで少しずつ少しずつ・・・成長していきます。

その成長は留まることはありません。

しかしながら・・・そのような自分の学びの過程において、素直に受け入れられない場合にはやむを得ない退行もあるようです・・・(誰のせいでもなく、自分自身が選択した結果によるものです。)

それゆえに、「幼子のように無邪気になりなさい。」という教えがあるようです。

また、ある時期が訪れたら上記の記述と並行するように・・・私たちの背中に小さくて可愛いエンゼルのような羽が自然と生えて来ます。最初は黄金の翼に見えますが少しずつ白い羽へと成長していきます。

この可愛いエンゼルのような羽が生えて来る頃の霊的段階は、胸にピンクのバラの花が咲き学びと共に大きく成長したあたりのようにも思われます。

白い羽は自分の学びと共に成長を続けていきます。最終的には大天使と同じくらいの大きさへと成長します。

しかし、その羽の機能は大天使とまでは及びません。初期の大きな白い羽です。そして・・・霊的進化(人格の向上)と共に翼(白い羽)の機能も少しずつ必要に応じて成長していくようです。

ご縁のある方がたをはじめ、日常生活を通してのごく普通の気づきや学びを通して人は優しさや思いやりを体得していくものです。

自分にとって本当に嫌な受け入れ難い敬遠するような出来事が起きたときにどのように対応するかが一番、大事なことのようです。

その出来事そのものではなく、それに対する私たち、個人、個人の反応が問題のようです。

それらからできることなら逃げたい!と思うことほど・・・本当は自分自身が一番、気づかなければならない大事な気づきの宝石が散りばめられていることも私たちは知らなくてはならないようです。

この部分で多くの人たちがささやきに負けてしまう・・・な自分のなかに巣くう隠れていたエゴ(サタン)との勝負の時のようです。

古(いにしえ)のときより言い伝えられている教えに「楽なほうを選ぶよりも、辛く苦しいほうを選びなさい。」

この意味は楽なほうを選ぶと、自分の魂(人格)を磨くことができないので・・・敢えて、逃げ出したいと思う自分にとって辛く苦しいほうを選んですることで「あなたの魂(霊格=人格)は試練に磨かれて人間的にも立派に成長することができますよ。」のようです。

その場しのぎで逃げても・・・いずれ遅かれ早かれ学びが終えてなければ巡って来るものです。先送りするのもよいし・・・すぐに受け入れれば自分のなかの嵐も平穏になり怯えることがなくなります。どちらでもよいのです。

私たちは誰もがたゆまぬ努力と心の点検・・・そして視えるものや聴こえるもの、視えなくても感じるものや想うことが本物であるかどうかの見極めの修練に留意していれば、特別なことをしなくてもごく普通の生活のなかで知っていても・知らなくても霊的進化に伴い胸にいくつかの花が咲くのです。

ピンクのバラの花があなたの胸に咲きますように・・・

そして、やがて黄金に光輝くバラの花へと変わりますように・・・

成長して次は蓮の花へと胸に咲く花が変わりますように・・・

私たち人は、単なる人間ではないことがこれで証明されるのではないでしょうか・・・

仏像が座している蓮華座の意味が・・・私たちの世界と遠くかけ離れた夢物語などではなく、誰もが求めれば・・・いずれ、遅かれ早かれ私たち人間は人間だけど、また神でもあることを自分なりに体験・体感することができる加速された素晴らしい光のウェーブの時期に私たちは生きているようです。

上記の記述(※)は私自身が実際にすべて実体験したものです。私個人だけでなく、ソウルメイトや友達、光のプロジェクトで関わっているライトワーカーの皆さん方をはじめ、ご依頼関連の方がたを通して等、様々な関わりのなかで私自身と同じようにいろいろと見(視)せていただく学びをたくさんいただきました。この私の実体験が多くのライトワーカーの方のお役に少しでも参考になればと思い捧げたいと思います(感謝・合掌)

 

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