霊的な働きをする者は、目に見える可視の聖者の指導下で働いているのである。
そして可視の聖者は、時代から時代へと、惑星から惑星へと、区帯から区帯へと働く、目に見えない不可視の大聖がたの指導下にあるのである。
聖者がたの特性の故に、彼らは、男にでも女にでもどちらにでもあらわれるのであり、彼らが見える師としてあらわれる場合は、いつの時代だろうが、どこの惑星においてだろうが、その惑星や人種で主導的立場にある性の形をとってあらわれるのである。
この太陽系では、主導的立場の性が女性である惑星は一つだけである。その惑星にあらわれる聖者がたのすべては、女性の形をとるのである。それは単なる外観の問題である。
支配者克服者には、上も下も男性も女性も内も外もないのであるから。
完全な魂の発達光線状に達した魂は、見えない大聖者と同様だということを覚えておきなさい。
唯一の違いと言えば、不可視の魂は、一度も動物肉体に入ったことがないということなのである。彼らのなしている働きは、浄められ、秩序化されたネガティブ原理を制御差配して適当な場にあてはめることなのである。
完全克服状で顕現している意識が可視の世界で可視の働きをしている時、直面するすべての諸状況を支配する為に、目に見えない力を呼び出す。
それが物質界に表れる時は、物質界の法則、つまり、目に見える諸法則を実現化のために使うのである。
それらがあらわれるのがどこの意識状態であろうと、つまり、どこの界であろうと、彼が実現しなければならないのは、諸法則諸原則とその界の支配とであるということが分かった。
もし、その聖者が可視の界で働いていれば、可視の諸法則を使うのである。聖者は、自分が働いている界の諸法則により、その諸法則に従って働いているのである。
だから、イエスが「もし、わたしが望めば、わたしの援助に天使の一連隊を呼び込めるのだ」と言ったのである。
しかし、イエスはそれをしなかった。
イエスは、一つの面(界)で働いており、その法則のみを使って働いていたのである。
イエスは、物質的法則でもって物質的特性によってのみ働いていたからである。
イエスは、人間は、物質界では、いかにして物質法則を使うかを示したのである。
もし、イエスが人々に霊界の真の法則を教えようとしたら、人々は、自分の理解を絶していて、とても解することは出来なかったであろう。
というのは、人間はまだ、自分があらわれているところの物界の物質的法則を使うことさえ学んでいないのである。
わたしは、あなたがたに、この地球を五百万年も歩いて来、今も歩いている一人の女について語ろうと思う。
言うまでもなく、あなたがたは、大聖者がたのことを聞き、中には、数百年も生きたかたについて聞いている。
あなたがたは、イエスの時代から今まで生きている、さまようユダヤ人の伝説を聞いたであろう。
しかし、歴史時代の最も古い時代から長い時代にわたって人々に知られていないものは、五百万年もの年を経た一人の女の話であろう。
この女は、この地球の第一周期、人類の第一周期の時に生まれたのである。
第一サイクル(周期)の終わり頃で第二サイクルの始まる頃は、この地球は暗黒星Xのエックスアン人と呼ぶ人々によって攻撃された。
太陽から十番目の惑星であるこのX星の特性の一つは、人類が天国を追放され、神性を失落した時にこの宇宙にやってきた全ネガティブの力のすべてのネガティブなものがこの暗黒の星に集中しているということである。
この星は、太陽光線を反射する代わりに吸収してしまう力をもっているのである。
この星はまた、ネガティブを吸収する力を持っているのである。
ネガティブなものがこの星に異常に表れた時、、我々が文字通りにネガティブなものと秩序との不聖な結合とも呼ぶべきことの結果が生じてき、それがあまりにも不調和だったので、その住者たちの特性の主導的なものとなったのである。
ここの住者が最初に地球にやって来、地球の人類を支配制圧してしまった。
彼らは第一時代、第一周期の終わりに人類を征服し、圧倒してしまったのである。
彼らは地球に人類を救うためにやってこられた光の子によって幽閉されるまでに、彼らの不調和、ネガティブ状によって全人類を支配していたのである。
彼らは地球の中心部に閉じ込められたのだが、その前の数千年間は、この地球を支配していたのである。
彼らは自分たちを神として拝ましていたのである。
彼らには、彼らの媒介者として一人の女性、娘がいて、高僧の位階をもって働いていた。
その女は、自分のもっているある特性の故に、人々のネガティブ性と若干同調しており、彼女が人々と一緒にいると、自分にポジティブ性(積極・善)を表す代わりに益々ネガティブ性を吸収するのであった。
この様にして彼女は、ネガティブを捨てさせる死として実現される力から免れてしまったのである。
死というものは、調和の法則なのであって、ネガティブの法則なのではない。
エックスアン人が地球中心部に閉じ込められた時、その女だけは地表に残されて中へ閉じ込められなかったのである。
この理由の幾つかはまだ明かすことが許されていないので詳しくは言えないが、目に見えない聖者がたがエックスアン人たちにも調和の状が実現されるかもしれないとの望みをもって残されたというのも一つの理由なのである。
彼女はリリス伝説の起源なのです。
リリスは、古代の象徴では、アダムの最初の妻であるとされている。
彼女は、それからずっと、美しい女性形をして世界を歩き回っており、今もこの地球を歩き回っているのである。
しかし、彼女の行くところ、到るところで否定、消極と騒動とが起こるのである。
その理由としては、彼女はかってエックスアン人と人類との媒介者であった時にネガティブなものを食物としていた様に、今もネガティブなものを食物としているからである。
わたしは、ここであなたがたに、カバラで教えている魂の四局面について述べようと思う。
古代知恵の教えの大部分のものによれば、人間の魂は四局面に表れている。
エジプトの宗数では、魂の四局面があると言っている。
最初に肉体の動物魂で、墓の中で肉体の守護者として残っているものである。
それから次は、墓とアメンティとの間の使者としての魂である。
次はアメンティのホールのオシリス(冥界の王)の前を通る魂である。
しかし、この上にまだ高級で上位の魂をエジプト人は考えていた。
それは、オシリスによって罪なしとされ、マートつまり、真理の女神によってはかられて欠点がないとされた魂で、オシリスの心臓を通って、魂の発出してきた高級界へと入ることを許されたもののことである。
この魂が二重の門を通ると、オシリスによって完全に義とされたのであり、その時にその魂は、人生の輪の円を完成したのであり、もはや人生の輪にしばられていないのである(二度と輪廻をしなくてもよい)。
カバラでは、ネフェシェと呼ぶ物的精神的魂(物界の魂)があると言っている。
次いでカバラでは、創造的魂、つまり、造形界(アストラル界)の魂であるルアキがあると言って、次は、メンタル界の魂でネシェマーがあり、さらにこれら三つの魂を超越した霊界の霊的魂でキアーがあるとしている。
キアーから他の下位的表われの魂が発出したのである。
カバラでは、人間の魂の各面はいわば、三角形とみなされるとしており、魂の三低級面のものが三角形を形成し、それは中央の中心点から放射されたものであるというのである。
そして、魂の以上の様な四つの特性は、各界にあらわれている一つ一つの魂にも残っているのであり、それらの各々は細い光の糸、つまり、旧約聖書の伝道の書にいう銀線で結ばれているのである。
銀線は、魂の各四面を結んでいるところの意識やエネルギー・力・光の細い糸であると考えられており、この糸によって表現の各四界(霊界・心界・四次元界・物界)に魂が分かれているのである。
物的魂は魂の最低級の面で、ある意味では人間の情緒性の支配者であるとされている。
真の神秘学徒は、肉体に表われている魂は、最低面、つまり、ネフェシェたる情緒的魂であると認識しているのである。
一部の神秘学徒は、人間本有の特性は、ネフェシェが魂の特性につけ込んで支配しているから、情緒的であるから、、決して進歩をせず、情緒的な深みへと入り込ませて行くのだと言っている。
この様に既に表われている情緒性を高め支配することによって、人々は、自己の感情、情緒たる低級表現面を制御できるのである。
情緒的なあらゆる宗教は、ネフェシェを利用しているのである。
というのは、その宗教家たちが最初に最もやさしいこととして到達するのが、魂の最低級面たるネフェシェだからなのである。
彼らは、人間を魂の高級面へと導き接近させる代わりに、意識(魂)の高級面から離し、低級面に固定さしているのである。
キアーは、最高の霊的魂である。キアーは最高で不可視界のものだから図にも書くことができないので書いてない。
魂の下位の三特性は、物的人間の中にバランスをとって統合されていると聞かされている。
そしてまた、人間は自己のネフェシェ(物的魂)に深く沈浸していて、自己の情緒性に束縛されているにもかかわらず、自己の心的魂(ルアキ)の力、自己の創造的魂(ネシェマー)の力を呼び出す力をもっていると聞かされている。
旧約聖書では ‘ わたしのネシェマーが喜んだ ” とある。
ここに古代の詩人が「わたしの魂の聖心的局面が喜ぶ」と言っているのを見いだせるのである。
これを翻訳者が、魂のどの面が喜ぶのかという、魂の喜ぶ面の理解をさせる代わりに単に ‘ わたしの魂は喜ぶ ” と訳したのである。
この魂の三局面は、潜在的に物質界に顕現することが出来るのであり、人間がキアーに至るには、この魂の三局面を通らねばならないのであると聞かされている。
また、魂の四局面は、神名の四文字語、テトラグラマトンすなわち、ヨド・ヘィ・バウ・ヘィの一つの面を象徴するのだと聞かされている。
また、魂の三面は、物質的魂に下りて来て、それ自身の特性を表しているのだと伝えられている。
まず、情緒世界に属し、情緒に属するネフェシェは、二人の天使の内の一人を表している。
この天使とは、各人の誕生から死に至る人生に出現するところの天使(エンゼル)で、善のミカエルと悪のサマエルとである。
サマエルは悪天使で、人間のネガティブで情緒的面である。
魂の情緒的特性の人間は、自分がなすことを制御できなくなるまでに乱されるのである。
だから、サマエルは、人間の物的魂、つまり、情緒の表れなのである。
サマエルの表れによって、人間はネガティブの深みに投げ入れられるのである。
他面、善天使であるミカエルは、創造界のルキアと呼ぶ魂の面から出たものであると言われている。
創造界(四次元界)は、理性的であると言われている。
ネシェマーは心的であるが、理性の力は、ルアキが表われたところに発現するのである。
ルアキは、バランス状で表われるから、善天使が表われるのである。
善天使は、物質界にいかにして秩序とバランスとのものをもたらすかを示してくれるのである。
物質界における人間は、ツェレム(想念)と呼ぶ二重性質から造られたと言われている。
物質的人間は、イメージ(想念)つまり、魂の特性、局面によって造られたのだから、人間は相反する二つの特性をもっているのである。
この二つが悪天使のサマエルと善天使のミカエルと結びついているのである。
ツェレム(想念)は中央にあるからバランス状にもなれるし、非バランス状になって悪天使サマエルのなすままにまかせることもできるのである。
この様に非バランス状になると物的性質が低いツェレム(想念)となるのである。
ツェレム(想念)は、善天使ミカエルとバランスをもたらし、協調できるのである。
この様になると、その人の高級性が表われるのである。
この高級性もまたツェレム、つまり、想念なのである。
ミカエルは、高級・低級の両イメージと結びついているのだから、もし、我々がバランス状から転落しても、いつも上の方へとあげられるのである。
それは、ミカエルは常にその想念と結び合っているからである。
もし、その人がバランスを乱しているとすれば、その人はサマエルのままに低級性を実現できるのである。
魂の四面を理解することは、我々をして、自己の機能している特定の面を見いだすことが可能であると言われている。
もし、人間が自己の情緒的魂にのみ機能していれば、もし人がアンバランスの(不均衡の)状にいれば、たとえ彼がものごとを善いように見るようにみえても、彼は自己の動物的魂によってあらわれている悪天使サマエルによって支配されているのである。
人間の物的存在や、その人の情緒的魂、つまり、ネフェシェのあらわれであるサマエルの表現なのである。
人間の情緒的魂のサマエルとの協調の故に真の神秘主義者は次のように教えている。
‘ 学徒に情緒性の高揚をさせることは結局、悪天使サマエルを実現させることであり、そうすることによってその人は、ついには、その人の外的性質に、最低の性質であるサマエルの想念を反映させる不均衡状をもたらすのである”
求道の学徒は‘ 左側の道 ” と結んでいる情緒によって支配された低級ツェレム(想念)、サマエルの反映とならんと欲するのか、または、‘ 右側の道 ” (善の道)でネシェマーとキアーとに導く理性の力によって支配された高級ツェレム(想念)、ミカエルの反映とならんと欲するのか。
この両者とも魂を通じてなるのである。
彼の向上心は、彼を右か左かへ導き、彼をしてネフェシェのみをあらわしているならば、絶対に自己のネシェマーを見い出すことが出来ないのである。
もし、我々が自己の善天使を呼び、ルアキの力を高めれば、切断していた結合が再び強固となり、善天使があらわれてサマエルをしりのけ(後退させて)、支配するように働きかけるのである。
他方、もし、我々が情緒性を高めれば、その面が実現され、サマエルが主導的となり、ミカエルをしりのける(後退させる)様に力を及ぼすのである。
ミカエルやサマエルと言うのはシンボル(象徴)であるということを覚えておかれたい。
だから、古代のカバラ学者が、魂の各面と人間との関係を話すときは、実際は、人間に生きるための鍵を与えているのである。
カバラの学徒は、人間に、自己の二つの表現性質の一方をいかにして高めるかを示しているのである。
もし、彼が他の高級性ルアキを存在するように呼べば、次のネシェマーを呼ぶことが出来るのである。
そして、彼はまたこの聖の偉大なる意志に対してキアーの力が表われるように呼べるのである。
しかし、このようなことは、彼が左側の道(サマエル)にいる限りは出来ないのである。
だから、求道の徒のしなければならないことの一つは、次のことである。
‘ あなたの情緒性に好まれることを片方へ押しやりなさい。そして、自分の理性と識別の力を呼び出しなさい。分析の力をそこへ適用しなさい”。
このようにするとミカエルをもたらしはじめるのである。
そして、ルアキと偉大なる光とが彼のもとに下りて来はじめ、彼に破壊へと導く左側の道を示す代わりに右側の道を示してくれるのである。
※上記はM・ドーリル博士著「カバラの眞義」(霞ヶ関書房)より抜粋させていただいたものです。 他の役割のある方がたと同じように・・・今までもそうでしたが、必要な方がたへのご紹介・抜粋は私の役割の一つでもあります。
上記をカンタンに要約させていただけば・・・多くの霊の書と同じで「自分にとって楽なほうの道ではなく、厳しい道のほうを選択して歩いたほうが自分のためになる。学びとなり霊的進化の道=人格の向上を歩くものとなる。」の意味です。よろしかったらですが、参考にしていただければ幸いです。
