「日本人の僧がふたり、森のなかの泥道を雨にぬれながら歩いていた。
ひとりは老僧で、もうひとりはまだ若い僧だった。
ふたりは寺に帰る途中だった。
ぬかるみの道をすぎて急流の川にさしかかると、そこには美しい女が途方に暮れたようすでたたずんでいた。
事情をみてとった老僧は黙ってその力強い腕で女を抱き上げると、川に入っていった。
女は老僧をみてほほえみ、そっと向こう岸におろされるまで老僧の首にしがみついていた。
女が感謝のことばを残し去り、ふたりの僧は黙ったまま歩き続けた。
やっと山門がみえてきたころ、若い僧がたまりかねたような口調でいった。
「美しい女を抱いて運ぶようなことをしてもいいのですか?
僧にあるまじきふるまいだと思われますが」
老僧は供の僧をふり返っていった。
「わしは運んだ女をあそこに置いてきたぞ。
おまえはまだ運んでおるのか?」
それを聞いた(学徒のダンは)・・・
「道は遠いな」ぼくはため息をついた。
「やっとどこかへいけそうだと思うといつもこれなんだ」
「おまえの仕事はな、<どこか>へ行くことではなく・・・<ここ>にいることだぞ、ダン。
現在に生きるということがちっともわかっとらんな。
宙返りをしているときも、わしにいびられているとき(※気付くために)も、<いま ここ>だけに集中するんだ。
関門(※扉を啓くとも言い換えることができます)をみつけるチャンスがほしかったら、これまでよりもっともっと<いま>という時間に専念するんだ。
関門はここにある。
おまえの目の前にな。
かつ目(もく)しろ!
目をカッとみひらけ!
いまだ!」
「でもどうやって?」
「現在という瞬間に注意を集中し続けていれば、おまえは思考から自由になれる。
思考ってやつは現在にふれると溶けてなくなっちまうんだ」
そういうと(※ダンの師である)彼は帰りかけた。
※《精神世界》に一大ブームを巻き起こしたニューエイジのバイブルと云われた2冊のダン・ミルマン著「聖なる旅」と同じくダン・ミルマンが師ソクラテスから授かった《魂のレッスン》・・・やすらぎの戦士の教えを綴った「癒やしの旅」より抜粋。
