抜粋より

「あなたはあなたが考えるとおり、まったくそのままの存在なのです。

あなたが考えることはすべて、あなたの人生でそのままそうなるのです。

いろいろな誘惑を空想すれば、あなたの存在は誘惑を体験するだろう。

みじめな状態を思いめぐらせればそうなってしまう。

不幸を想定すれば、あなたの手もとにやって来る。

喜びを想定すれば、それがやって来るだろう。

ある才能を思えば、それはすでにそこにあるのです。

では未来はどのように創造されるのだろうか。

思考を通してである。

明日というものはすべて、今日というこの日あなたが抱く思考によって設計されている。

それが感情面でのどんな目的のためであろうと、あなたが抱く思考、空想などは身体の内部に、ある気持ちを生じさせ、それは魂の内部に記録される。

その気持ちが、今度はあなたの人生のさまざまな状況についての前例となる。

つまり、それが魂に記録されているのと同じ感情をつくり出す状況、それがマッチするような状況にあなたが引き寄せていくのです。

また、あなたが口にする言葉は、すべてあなたの将来を創造するということも知るべきだ。

なぜなら、言葉とは、思考によって生命を与えられた、魂の内にある感情を表現した音だからです。

あなたは自分の身に起きることはすべて偶然だと考えているのだろうか。

それは知られたる真実とは違う。

この世界には、事故や偶然といったものはない。

そして、ほかの人間の意志や策略の犠牲者などという人間もいない。

あなたに起きることはすべて、考えること、感じることによってあなたの人生にもたらされているのです。

それは、「もし、こうなったら・・・」という仮定の形、あるいは恐れという意識を通して空想されたか、何かはこうこうなると誰かほかの人間が言うのを、あなたが真実として受け容れてしまったものです。

あらゆるものは、思考と感情によって定められた意図的な行為として起きるのです。

すべてのものがそうなのです!

あなたが考えたこと、空想したこと、あるいは語ったことは、すべてすでに起こったか、これから起こるべく待機している。

いったい、どうやってすべては創造されると思いますか?

それは思考を通して創り出されるのです。

思考こそが、真に生命を与える者であり、決して死ぬこともなく、破壊することもできないものなのです。

あなたは、それを使って、自分自身に生命をもたらしたのです。

思考こそが、神の精神とあなたとをつなぐ絆です。

時代を通じ、さまざまな存在がこの真実を皆に教えようとして来ました。

謎かけを通して、歌を通して、そして書き物を通して。

だが、ほとんどの人間はこれに気づくことを拒んできたのです。

自分の人生に対する責任という重荷が自分の肩にかかってくるのを望む者など、ほとんどいなかったからです。

だが、実際には、あなたが考えること、あるいは、自分について、父なる存在について、また人生そのものについてのあなたの価値観はすべてそのとおりになるのです。

と、いうのがものの在り方なのです。

最も卑しい醜悪なものから、かけがえのない美しさをたたえたものまでも、それは同じことです。

なぜなら、その違いを知るのはあなただけだからです。

父なる存在は生命しか知らない。

だから、あなたは自分の語るものを手にする。

あなたは、あなたが考える自分そのままなのです。

自分でこうと結論を下したものが、自分なのです。

自分をレベルが低いと考えれば考えるほど、あなたは実際にそうなっていく。

自分に知性があることを認めてあげなければ、さらに愚かになっていくことでしょう。

自分を美しいと思わなければ、あなたは卑しくなっていく。

なぜなら、あなたが自分でそのように定めたからです。

あなたはいったい何者なのか?

その存在の静寂のなかに、考え、創造し、そして自分がなりたいと望むものなら何にでもなっていける力を持つ神 - それがあなたです。

なぜなら、この瞬間、あなたはすべてに法則を与える者であり、自分の人生と、そこにある状況を創造する者(人)だからです。

あなたはまさに、すべてを超える智慧を持った知性でありながら、この生、そしてその他の数多くの生で、このことに気づかずに生きて来たのです。

かって、あなたは花を創造することが出来たのです。

だが、今・・・みんなは自分のために何を創造しているというのか?

最高の創造物といえば、不幸であり、心配であり、憐(れん)ぴの情けであり、みじめさ、憎しみ、対立、自己の拒絶、それに老化、病気と死ではないか・・・。

自分に限界を設けてしまうような信念を容認することで、あなたは限界だらけの人生を創りあげて来たのです。

その信念が、今度は自分の内面で不動の真実と化し、人生での現実となっていくのです。

かって、自由の風であった創造の神々。

そのあなたたちが、大都会に隔離され、鍵をかけた扉のなかに閉じこもって怯えながら生きる動物の群れのごとき存在と化してしまった。

みんなにあるのは、そびえたつ山々や素晴らしい風ではなく、壮大な建物と恐怖にかられた意識と化したのです。

どう考え、何を信じ、どういうふうに行動して、どんな格好をするべきかまで規制する社会をあなたたちは創り出してしまったのです。

みんなは戦争とその噂を恐れる。

病を恐れる。

人に認められぬことを恐れる。

そして、ほかの人間の目を見つめるのは震えてしまうほど怖いというのに、愛と呼ばれる親しみの情を渇望しているのです。

自分に起きる良いことには、すべて疑いのまなざしを向け・・・もう、二度とそういうことはないと思ってしまうのです。

成功と名声、そしてドルや円やルピーのために世間に出て争う。

ああ、それもほんのわずかなよろこびのために。

みんなは自分の思考によって、自分を絶望に追い込んでいるのです。

自分の思考によって、自分を価値のない存在だと信じるようになったのです。

自分を失格だと思うようになったのです。

病にかかったのです。

それは死に至る病です。

これらは、すべてあなたが創り出したものです。

あなたの内には炎(光)のような創造主がいます。

ひとつの想念からいくらでも宇宙を創造し、天空の星に永遠の輝きをもたらすことができる力を持っているはずなのに、その創造主は、特定の信念、教義、流行や伝統などの枠の中に自分を押し込めてしまっているのです。

限定された思考によって限定される思考、それによってさらに限定されてしまう思考・・・

本当の意味で「生きる」ことを許さなかったのは、自分を信じようとしないあなた自身の疑念なのです。

では、あなたが信じていないのは何か?

五感で知覚することができないもの - 聞く、見る、さわる、味をみる、匂いを嗅ぐなどができないものすべてです。

では、信念なるものを私に見せてほしい。

手の平に置いてみてほしい。

ある感情を見せてほしい。

ぜひ、それをさわってみたい。

ある考えを見せてほしい。

それはどこにあるのだ?

あなたの価値観を見せてほしい。

それはどんな姿をしているのか?

風の像を見せてほしい。

そして、あなたの人生から貴重な瞬間を奪い取っていく「時間」を見せてほしい。

皆は人生における最高の贈り物を信じようとしなかったのです。

そのために、はるかに大きな広がりを持つ、限りなき思考が浮かんで来るのを不可能にしてしまったのです。

幾度となく生を繰り返し、存在を繰り返す中で、あなたはこの地上界での幻にあまりにもどっぷりと浸かり過ぎたため、自分の内を流れる素晴らしき炎(光)を忘れ去ってしまったのです。

1050万年の間に、あなたは全能で至高の存在から、物質界で自分を完全に見失うところまで来てしまっているのです。

自分で創り出した教義や、法律や、流行や伝統の言いなりとなり、国家や信念、性別、人種の違いで分断されて、嫉妬や苦々しさ、それに罪悪感と恐れのなかに浸っている。

自分の身体と自分を完全に同一視してしまったために、生存ということにすっかりとらわれてしまい、自分が選んだままに夢を創造させてくれる内なる神というあなたの真の姿、見えない本質を忘れ去っているのです。

不死、などということはまったく頭から否定してしまったのです。

そのおかげであなたは死ぬ。

そして、また戻って来る。

何度も何度も、繰り返し繰り返し。

そうして、あなたは今、またここにいます。

1050万年間、ここに生きて来たというのにである。

それでも、あなたはまだ自分の疑念にしがみついているのです。

思考そのものである全体である神は、まさに壮大な舞台です。

そして、あなたの好きな脚本を書かせてくれ、配役ごとにそれを舞台の上で演じさせてくれる。

そして、幕がおり、最後の言葉が語られて、お辞儀が終わると、あなたは死ぬ。

いったい、なぜだ?

それは、すべての法則の創り手であるあなたが、そうなると信じているからにほかならない!

この人生はすべてゲームなのです。

それは幻なのです。

すべてがそうなのです。

だが、それを演じているあなたたちは、それがたったひとつの現実であると信じ込むようになったのです。

だが、これまでも、そしてこれからも存在するたったひとつの現実とは、生命そのものです。

自由で、しかも連綿と続いていく在るものの本質的な部分であり、それはあなたの好きなようにゲームを創造させてくれるのです。

注釈:魂磨きを含めた幻のゲームをです。

思考によって、自分を無知や病気や死へと追いやる力が内面にあると気づくとき、さらに大きく広がる限りない思考の流れに自分を開いてあげることで、自分にはもっと偉大なものになる力があることにもあなたは気づくだろう。

その流れがさらに大きな才能と、創造性と、永遠の生命とを持たせてくれるのです。

もともと身体を創造した張本人である神とは、実はあなたの内面に宿っている力であると気づくとき、あなたの身体はもはや老いることも病気になることも、消滅することも決してなくなる。

しかし、自分の信念に固執し、思考に限界を課している限り、朝の太陽に輝きを与え、黄昏の空に神秘を与えた永遠を体験することは、決してないでしょう。

自分がこの地上界から消滅すると定めたとき、いったい何が起こるのだろうか?

もちろん、肉体は死ぬが、あなたの目の奥で静寂の中に思考をしている存在はずっと生き続けるのです。

この地上を去るとき、もしあなたが死ぬと決めたのなら、真のあなたは、地中に埋められ、朽ち果てて灰と化すわけではない。

あなたは風とともに存在し続けるのです。

行き先は、この地上界であなたがいたところです。

そこであなたは、次回の冒険で何をしたいのかを決めるのです。

そう、すべては冒険でしかないのです。

そしてあなたは、神としての自分の真性を再び手にするまで、何回でも、望むだけ、ここ地上界に戻って来ることになるのです。

注釈:周知の事実のように、生命体であるこの地球は次元上昇中なので来たるワンネスの波動に同調し合えばの話になるようです。多くの人?は、自分さえよければの古い価値判断や枠組みなどがある低次元レベルの今までの地球の低い波動と同じような惑星(ほし)へ転生して繰り返しの学びをすることになることは周知の事実のようにです。気づけば、誰もが瞬時にその限りではないことも明白なことです。誰もが自由意志と自己責任により選択するので自分しだいということのようです。それらの次元上昇中のエネルギーに役割のある多くの人たちがいち早く同調することが遅しとカウントダウンされている現状があるようです。気づくものは幸いなり。

その後で、今度は別の天界、別の場所でのさらに壮大な冒険に向かっていくのです。

みんなは、自分の想像をはるかに超えて愛されています。

というのも、何をしようとあなたは生き続けていくからです。

だったら、なぜこれまで心配して来たのでしょう?

なぜ、戦って来た?戦って来ているのでしょう?

なぜ、自分を病気にして来たのでしょう?

なぜ、哀しみにうちひしがれて来たのでしょう?

なにゆえに、自分に限界を課して来たのでしょう?

なぜ、昇る朝日の荘厳さを、風の自由を、そして子供たちの笑い声を楽しんで来なかったのでしょう?

なにゆえに、苦労ばかりせず、生きることをしてこなかったのでしょう?

あなたは何度も何度も生きる。

あなたの種は永遠不滅の存在なのです。

あなたがどんなに疑念を持とうと、自分の世界を限定しようと、どれほど心配し、絶望しようとも、あなたが決して消せないものがある。

それが、生命(いのち)というものです。

どんなに心の目が盲いた貧しい人間であろうと、必ず生命はある。

それが神と呼ばれるものです。

そして、それはあなたのことなのです。

あなたが生きているこの人生は、夢です。

大いなる夢、いわばうわべなのです。

それは、思考が物質と戯れている姿であり、夢見人であるあなた自身が目覚めるまで、あなたの感情をその中に拘束しておくための深遠なる現実を創り出しているのです。

自分がどれほど美しいか、あなたは今まで知ることがなかった。

自分をしっかりと見たことがなかったからです。

自分が誰なのか? 見据えたことがなかったからです。

神がどんな姿か見たいですか?

鏡のところに行ってみよう。

そうすれば、あなたは神と面と向き合っているのです!

自分は価値ある人間であることを先ず、知ることです。

あなたの真価を評価できるものさしなどはないのです。

あなたの美を描き出せる像もないのです。

そして、あなたの世界に終わりもないのです。

最も偉大な説法は、山上に立ったある師によってなされたものです。

そこに立つと、その師は聴衆に向かってこう言った。

「神を見よ」

それだけしかいう必要がなかった。

神を見よ。

なぜなら、1人、1人が、限界も、望みも、病も、貧富も、よろこびも哀しみも、生命も、そして・・・その死も、すべてを創造していた(いる)からです。

神を見よ。

それを覚えておくことです。

あなたは、すべてのものに宿るあの存在なのです。

いつの日にか、あなたも神を見ることでしょう。

自分に触れてみるとよい。

ただ、それだけでいいのです。」

「ラムサ - 真・聖なる預言」ラムサ著/川瀬勝訳(飛鳥新社)より抜粋。

※お導きのサポートにより、一部の翻訳の部分を読みやすく訂正・加筆と現在の状況等の注釈を加筆させていただきましたことをご理解・ご了承を願います。by サラ・マイトレーヤ

当ブログ、左の欄に〔和やかな環 その1〕と記載したリンクがあります。そのリンク「四つ葉のクローバー」ブログも一緒に読んでくださると嬉しく幸いです。

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