Nageki・・・嘆き・・・
喜多郎さんのシンセサイザーの「嘆き」の曲をはじめて聞いたのはいつの頃だったのか・・・もう、覚えていない・・・
当時、発売されたと同時に収録されていたテープかアルバムのCDを購入して聞きました。
その後も「Nageki」の曲はアルバムのCDを購入する都度、何度か収録されているのを眼にしたり聞いたりして今日に至っています。
その当時から・・・「Nageki・・・嘆き」の曲を聴くたびに何か胸を揺さぶられるものがいつもず~っと私のなかにありました。
特に昨年末頃から今に至るまでの期間は・・・降ろされた「Nageki(嘆き)」の曲の意味が切なくて・・・もどかしくて・・・やるせなくて・・・
私自身の至らない数えきれない実体験等を通してもその意味が身に沁みて・・・はがゆくて泣けて泣けてどうしょうもありませんでした・・・
不特定多数の役割をそれなりに自覚・認識をして知識もそれなりにある同胞たちの実践が伴なわないとはどういうことなんだろう?
さまざまなことを与えられることが当たり前といつまで経っても待ちの姿勢・・・受身の姿勢が変わらない限り、大難が小難に変わることさえ気づこうとしないのでしょうか?
それとも・・・自分にリスクが及ぶのをたんに毛嫌い?しているだけの短絡的な自分さえよければの思考にいつまでもしがみついていることに気づこうともしないフリをしているのでしょうか・・・?
テレビ番組の報道等をはじめ、マスコミ関連であれほど・・・今も「いつ、何が起きてもおかしくない状況にあります」を私たち、1人、1人はどのように受け止めているのでしょうか?
特に自分はスピリチャリストを自認している方がたをはじめ、ライトワーカー、光の使徒、ワンダラー、虹の戦士と呼び名は違いますがその目的はどれもが同じです。
役割の呼称だけを前面に高く掲げ・・・それらの実践なくしては有言実行の人にはなりません。
ことわざにもあるように・・・いくら言葉や自分の高い志をいろいろとしゃべっても、それらを行動に移さなくては・・・移していなければ本物ではないと云われています。
「あなたがたが見習いたいと思う人や尊敬に値すると思う人たちは・・・それらの知識とともに選り好みをしないで実践をしていますか? これが本物であるかどうかの見極めのポイントです。」 (※時々、あるように書かされたようです。)
セミナーやワークショップ等に参加して得た知識等はどのようにあなたは活かしていますでしょうか?
おそらく・・・多くの役割のある人たちは、それらを受講したというそれなりの肩書き等に自己満足をして、そこどまりで終わっている人たちが多いのではないでしょうか・・・?
知り得た知識・・・あるいは高額の料金で伝授等をしていただいたその伝授はどのように使われているのでしょうか?
多くの場合は・・・次は自分が伝授者になり、ビジネス化してしまっていることさえ気づこうとしないのはどうしてでしょうか?
このようなことを書いたら・・・また、図星や不都合が生じたと思われる人たちが生霊で抗議にくるのでしょうか?
抗議に生霊で来ること事態がそもそも共同創造のパイプ役として、自分は間違っていたことを証明していることにほかならないのです。
そう、思いませんか!?
気づいた時から、いつでもやり直しが誰にでも出来るのです。
ただし、心からの悔い改めが必要です。
・・・これらのことにも気づこうとしない自分さえよければのエゴのるつぼ?にしがみついているアデプト(霊的教師)の役割がある人たちの責任は免れないことは周知の事実のようにです。
大なり小なり人集めをして・・・結果、自分はセレブ生活を装い・・・霊的真理の教えとそぐわないことにも気づこうとしない古い壊れ去りつつある今までの価値判断や枠組みの世界にしがみついていることに気づこうとしないのはどうしてなのでしょう?
もちろん、誰もが自由意志をその責任と共に与えられています。
だから、よいのです。
・・・悲しいかな。
いつ、何が起きてもおかしくないといわれているにも関わらず・・・自分から何かをしようとさえ思わない、行動をしようと思わない・・・そのような意識レベルこそが問題だと思いませんか?
誰かがやってくれるからとか・・・そんな甘いことを考えたり思ったりの思考をしているから・・・今の在りようがあるのです。
その時が来て(起きて)・・・気づいたときには、もう遅いのです。
昨年の大晦日から元旦の2日間は涙に明け暮れていた私がいました。
私自身が選択したのですが、数えきれない帰還変更の繰り返し・・・もしかしたら、無駄だったのでは?と昨年末あたりからそう想うことがあったのです。
私や少数の人たちがいくら共同創造関連等に携わっても・・・役割をそれなりに自覚・認識をしている大多数の人たちが心を入れ替えて本当の意味で真剣に立ち向かわなければ大難が小難に早く移行しないことも知ってください。
どこかで・・・漠然とでしたがな~んとなく1/4の北口本宮浅間神社(山梨・富士吉田市)の奥の宮で「○○までは大丈夫でしょうが・・・人類の意識レベルによります・・・」と云う詔をいただいた内容と同じことを私は知っていました。
だから・・・情けなくて・・・哀しくて・・・涙に明け暮れたのです。
もっとも、昨年末のある日にこのブログにぶちまけ書きました。
早く、気づいて!と思ったからです。
初詣はいつもの私らしくなく・・・2日の早朝に行きました。
遠いけれど・・・川勾神社に行き神様方がゼロポイントで調整をしてくださり・・・「私の繰り返しの帰還予定変更には意味があったので、あなたの思うようなことは決してありません。1人、1人の責任です。失意を失わず、前向きに・・・」と叱咤激励の御言葉をいただいたのです。
その後、地元の産土の神社へ初詣に行き・・・誰もいない境内で長時間、調整等をしてくださいました。
「求めよ、さらば与えられん」の御言葉の教えがあるように・・・神秘・・・いえ、誰にでもある内面の神性をゼロポイントでまた見(視)せていただきました。
私の最終仕上げの調整等も兼ねて、3日の夜から4日に北口本宮浅間神社へのお導きをいただき4日にそのように行きました。
「○○まで大丈夫でしょう・・・人類の意識レベルによります・・・」の詔の日付については控えます。
役割をそれなりに自覚・認識をしている大多数の人たちが・・実践の表面意識も伴なうようになれば、大難が小難になるのです。
これは絵空事ではないのです。
他者でもない、あなた自身から今すぐにでも真剣に地に足をつけて知り得た霊的真理の知識等の実践・・・行動に移していけば間に合うかもしれないのです・・・
本当のことをいえば・・・私事ですが、北口本宮浅間神社の奥の宮でマグダラのマリア様にハグをしていただかなくてはならないほどに回復の面で・・・もどかしさと哀しみに傷ついていた私がいたことに気づかされたのです。
私1人くらいが帰還予定の変更を何度も繰り返しても・・・いえ、やはり99・9%ダメに思えてもやはり最後の最後まで目的を同じくして今、現在に選択して生まれて来ている同胞たちを信じたいのです。
私のその調整期間等も終えたようで元気になった至らない私がいます。
そして、このブログを書き綴っています。
読んでいただき・・・何か少しでもあなたの心の琴線にふれてくだされば幸いに思います。
まとまりのない文をいつも読んでくださいまして感謝します。ありがとうございます。
by サラ
