アムリットの甘味  (抜粋)

多くの人達は「私には必要ない。教師は要らないし、私を導いてくれる人も必要ない」と言います。
ところで、あなたは教師も要らず、導いてくれる人も要らないのに、どうして学校へ行くのですか?
何故、行くのですか?
必要ないではありませんか?
違いますか?
霊的な道もこれと同じです。
神様はこの世に二つの世界を創られました。
一つは霊的な世界で、もう一つは物質の世界です。
皆が後を追い回している物質世界は、いくつかのわずかな物からでき上がっています。
それは富、名声、権力などです。
人々はこの世だけに存在し、物質の領域に限られているものを追い回しているのです。
でも皆が後を追っているものが取られてしまったら、一体何が残るでしょう?
何も残りません。
全く何も!
そして、この人達は「あなたが人生から得たものは何ですか?」と訊かれると、多分「何も」と答えるか、あるいはこの限界ある世界で起きたことについて何か話し始めるでしょう。
それに反して霊的な人生、霊的な世界はこれと正反対で、神を知ることを切実に願い、神を理解することを熱烈に欲し、一筋に神を求めるのです。
でも、この気持ちが充分でないと、また、目的もなく、何処へ行くのかわからない状態だと、難しくなります。
今日では皆がこのことについて何も知らないからです。
ただ教師だけが、パラムグルか、サットグルだけが、あなたにこれを教えることができます。
そうでなければ、あなたはある時点、ある決まった境界線までしか行くことができません。
そしてその後、何が起こりますか?
あなたはこの輪廻の法則、生と死の繰り返しから抜け出すことができません。
ここで神様が与えてくださった恩恵について考えてみてください。
まず、あなたが人間として生まれて来たこと、あなたが霊的で、人生の目的を探していること、そして神様に達することを求めていることなどです。
何と並外れたことではありませんか?
地球に存在する、840万種にも上る生物の中で、唯一人間の身体を授かったのです。
ということは、840万にも上る生物の中で、人間は最も高い位置にいるのです。
何故でしょう?
それは、人間が理性を持っているから、理性に至る素質を持っているからです。
そう言うのも悲しいことですが、人間は今日、それさえ失くしています。
この理性に至る素質は、人間のみに与えられたものだからです。
(省略)
あなたがこの理性を使って、自分を分析すると、人生の目的がわかるでしょう。
あなたは何処へ行ったらよいのかわかるでしょう。
そうでなければ、あなたはただのマリオネットに過ぎず、まるで小さな人形のように、他の人達があなたから望むことをするだけでしょう。
人間の社会はこのように動いているのです。
人間社会の奴隷となれば、あなたはそのマリオネットになってしまいます。
その社会が右と望めば、あなたは右へ行き、左と望めば、あなたは左へ行くでしょう。
でも、あなた自身はどうなるのでしょう?
最終的にあなたは自分を見失ってしまうでしょう。
あなた達が皆でここに座って、パジャンを歌っていると、外を行く人達はきっと「この人達は気が狂っている」とか「彼らはすっかり気が違ってしまった」などと言うでしょう。
あなたが霊的な道に入ると、人々はあなたを指差して「何故、あなたはこんな道を行くのか」と訊くでしょう。
そして「私達と一緒に来ない? そして、外での生活を大いに楽しんだらいいじゃない」などと言うでしょう。
あなたが外の世界にいる間は、友達がたくさんいるけれど、一旦霊的な道に入ると、その友達がどれだけ残るかわかるでしょう。
何故でしょう?
それは、霊的な道にいる人間は、少し気がおかしいという定評があるからです。
彼らは霊性を四番目の位置に置きますが、実際には全く反対です。
霊性は最高の位置にあります。
ですから、わずかな人達だけがそこへ達することができます。
わずかな人達だけが祝福されます。
他の人達は理性を備えていますが、それを利用しようとしません。
ヴェーダは、理性を使用しない人間は、動物に等しいと言っています。
彼らは人生を無駄に過ごし、せっかく人間として生まれて来たのに、その人生を浪費することになります。
でも、この人達に「あなたは幸せ?」と訊くと、彼らは「いや、不幸だ」と答えます。
それは、彼らが本当に何を欲しているか、知らないからです。
彼らは人の言うことを聞いて、それに従っただけだからです。
あなたはどのように噂がたつか知っていますか?
あなたが霊的な道に入ってまもなく、誰かが来て、噂話をたくさんし、おまけにあなたの道は間違っていると言ったとします。
こういった瞬間にはもちろん知性が大いに幅を利かせます。
ここでカンダルセーナという王様のお話をしましょう。
ある日のこと、王様は戦争に出掛けます。
戦争の最中に、副大臣が大臣の所へ来て、突然、こんな話をします。
「王様が亡くなられました」
当然のことながら大臣は大変心配します。
そこへ宮廷から一人のリシが出て来て、次のように公表します。
「王様が亡くなられました」
三日の間、人々は王様の死を悼みます。
彼らは泣いて泣いて、泣き続けます。
ところで、三日目に王様ご自身が戻って来られます。
帰って来た王様は、皆が白い服を着ているのを見ます。
※注意:ヒンドゥー教の伝統では、人が死ぬと、白い服を着るのが習慣である。一方、霊的な道でも古い「私」が死ぬと、白い服を着る。白い服を着ることは神に近づくことを意味している。
王様は皆が喪服を着て、嘆き悲しんでいるのを見て「君達は何故、泣いているのか?」と訊きます。
そして、大臣が王様は死んだと言ったことを聞きます。
そこで王様は大臣の所へ行って、「あなたが私は死んだと言ったことを聞いた。ところで、私はこの通りまだ生きている。誰が私は死んだなどと言ったのだ?」
すると大臣は「副大臣です」と言ったので、今度は副大臣が呼ばれます。
副大臣は「私はある村で人々が群がって、カンダルセーナが死んだ、と言っているのを聞いたのです」と説明します。
そこで彼らはその村へ行って、人々にことの成り行きを尋ねます。
そして、次々に村人を訪ねて回り、最後に、泣き悲しんでいる、ある陶工の家へ行きます。
彼らはその陶工に、王様の宮廷へ来てくれるように頼みます。
彼は王様の前に出ても、まだ泣いています。
王様は「おまえは何故、私が死んだなどと、思い切ったことを言ったのだ?」と訊きます。
「でも王様、私はあなたが死んだなどと言っておりません」
「しかし、皆の話では、おまえはカンダルセーナが死んだ、と言ったそうな」
陶工はこれに答えて「そうです。私は確かにカンダルセーナが死んだ、と言いました。ところがカンダルセーナは私の驢馬(ろば)で、つまり死んだのは私の驢馬(ろば)だったのです」
すると王様が訊きます。
「何故、おまえは驢馬をカンダルセーナと名付けたのか?」
陶工は答えて「それは長いお話です。ある日、私がジャングルを歩いていると、この驢馬が現れて、人間の言葉で私に話しかけたのです。
『私はカンダルセーナと言います。私はあなたについて行きたいのです。あなたのお家へ連れて行ってください。あなたの望みなら何でも叶えてあげます』」
そこで陶工が驢馬を家へ連れて帰ると、驢馬は死んでしまいます。
王様と驢馬は同じ名前でした。
陶工は驢馬のことで泣いていたのですが、人々は「カンダルセーナが死んだ」と聞いて、王様だとばかり思ったのです。
これは噂やゴシップがどんな誤解を引き起こすか示しています。
真実を知らないのに、また、自分が何をしたいのかもわからないで、それこそ自分自身を馬鹿者扱いにして、判断力まで失ってしまいます。
あなた自身の心に耳を傾ける習慣をつけてください。
何故かというと、人々の話すことには、ある程度の偽りが含まれています。
でも、あなたが内部の声に耳を傾けると、そこには間違いなく、ある程度の真実があります。
ですから、霊的な道では、自分の直感に従うことがとても大切だと言われています。
この直感の能力を自分の中で育てて行くことは、とても大切であり、それが人生の目的に向けて、あなたを導いて行くのです。
この素質を育てるためには、すでにこれをマスターした人の指導が必要です。
あなたには常に教師が、サットグルが必要です。
誰か一人の神様を例に取って見ても、それがラーマでも、クリシュナでも、皆それぞれに彼らを導く教師が、グルがついています。
彼らは神の完璧な顕現体ですから「私達は教師など要らない」と言うこともできるのに、彼らも生きている限り、グルの祝福が必要なことを教えています。
そして、これを保って行く道はサットサンガ、話し合いのような形式で行われる、霊的な討論です。
何故、人々は師匠が与えるものを受けに行くのでしょう?
マスターがアムリット、ネクタール(お神酒)を授けるのを知っていますか?
たとえ、あなたにわからなくても、必ず受けています。
サットサンガから、私達の話し合いから、あなたは必ず何かを受け取ります。
そして、あなたが受け取るものは、あなたの成長に役立ちます。
あなたが授かるものは、あなたにそれとわからなくても、アムリットなのです。
それは遠くから飛んで来る蜂が、蓮の花やその他の花から集めるネクタールです。
すべての花が同じ量の甘味を持っている訳ではありません。
それを知っているのは誰だかわかりますか?
それを知っているのは蜂だけです。
蛙(かえる)でもありません。
蛙ではなく、また、何でも知っていると思い込んでいる、無知でもありません。
蛙は花の上を跳んだり、下に飛んだりしますが、中にどんな甘味があるか知ることはないでしょう。
それを知るためには、自分の内部を深く掘ってみないとわかりません。
何処までも深く、更に深く掘って、このアムリットを手に入れるまで。
あなたは教師やグルの手を借りて、アムリットを授かり、人生の最期に至って「私は人生の目的を達した」ということができます。
自分を変えるということに関して、人々はよく「私は自分を変えられない」と言います。
そして「もっと後になったら、自分を変えよう。私はまだ若いから、今は人生を楽しみたい」と言います。
でも、それでは駄目です。
人生はどんどん走り去ってしまいます!
あなたはいつ死ぬかわからないではありませんか?
そうでしょう?
もしかしたら隕石が落ちて来て、それですべて終(しま)いになるかもしれません。
ですから、あなたが自分を変えたかったら、明日とは言わず、今すぐに変えてください!
私はもう自分を変えたから、これでよいのだと言っていては駄目です。
過去のことは過去のことです。
過去は過ぎ去ったもので、もう終(しま)いです!
あなたは何かしたかったら、それができるのは今だけです。
それを将来に持ち込むことはできません。
あるのは「今」だけです。
あなたが自分を変えたかったら、今が自分を変える時です。
あなたがある決断を下したかったら、今それを下しなさい。
あなたが「今」にあることは大きな贈り物です。
現在のこの瞬間にあることは何よりのプレゼントです。
ですから、このネクタールを満喫してください。
そして、この甘味を楽しんでください。
さっきも言ったように、あなたがその授かりものに気がつかなくても、必ず受け取っています。
あなたの意識を満たし、あなたの成長に役立つ何かを、主の「蓮のおみ足」に達して、人間としての生活を満たすために、また、なぜ、あなたがここに生まれて来たか知るために役立つものを授かるのです。
さもなければ人生は無駄に終わってしまいます。
ものごとを理解するために判断力を使用してください。
人を非難するために判断力を使ってはいけません。
あなたが非難することは、あなたの愚かさをあらわすからです。
あなたが愛の道を行き、自分の心に従って進めば、あなたは成長するでしょう。
そして、あなたもマスターのようになることでしょう!
あなたもこのネクタールの一部分となり、それを他の人達にも、さらに多くの人達に分け与えることができるようになるでしょう。
これは、キリストが弟子達に言った言葉です。
「行って、弟子を取り、成長して、人々を助けなさい」
同じようにあなたも人々を助け、成長して行くのです。
上記はお導きにて「JUST LOVE  ただ愛のみ」シュリ・スワミ・ヴィシュワナンダ著/山下豊子(スワミニ・ダヤマティ)訳/ナチュラルスピリット発行より抜粋。

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