昨日(3/13)からの詔のキーワードは・・・「間に合うのであれば・・・」が今日もまた朝から鳴り響いて来ています・・・
天の大愛に・・・そして、人類の1人1人に語りかけてはいるのですがその語りかけを受け取る側の・・・ほんの一握りを除く、多くの人類が聴く耳を自ら持とうという意識・・・意思を・・・まもなく壊れ去ろうとしている古い世界の価値判断や枠組み等の今までの各自の古い引き出しのパターンをかたくなに繰り返していることに・・・気づく者たちは、新たなエネルギーの流れに副(そ)った生き方へと自らを意図し鼓舞して真実の生き方をそこに発見し知る者となる。
これは新しい生き方であって・・・この新しい生き方は決して新しい生き方ではなく太古からのものでごく一部の者たちがそれぞれの時代においてある意味、秘密裡で隠され護られて来た教えでもある。
それはいつの時代においても真摯に求める者たちには常に解放されていたものでもある。
本を読んだり、教えを学んだりすることは確かによいことだけど・・・それらの知識をただ学び知っているだけでは歩く道は違うなり。そのことを知るなり。
それらの知り得た知識を行動に移し・・・自らが学び得た知識に挑戦して、失敗を繰り返しながら新たなやり方や違うやり方を俊巡(しゅんじゅん=尻込みすることなくの意味等)する者となることを知る者は真に幸いなり。
永遠普遍の知り得た霊的真理(スピリチャリズム)の知識を自らが実際に行動に移して挑戦をし・・・失敗を繰り返し(この失敗も何ひとつ決して無駄に終わることはないのであることを知るべし。)、人は自らがこのように体験して初めてその霊的真理の意味が何たるかを己のなかに落とし込む者となるなり。
それらをとおして初めて体得した者となるなり。
そなた方は、新たな本は必要ないことを知るなり。
必要なことはすべてそれぞれに応じて与えられているなり。
それらの知識の宝庫?を上記のように繰り返し挑戦して体得し成長する者と己を意図しなければ真実の道・・・光の道は、あいまいさに流されこの現実世界だけが楽しくわくわく過ごせればよいだけというような「真実」とは似ても非なるかけ離れた解釈がなされていることを知る者は幸いなり。
そこにはそなた方が本当に求めている魂からの喜びや身体が光り輝くライトボディとなり、光はまた音でもあるので身体が音やメロディを奏でる体感の次元へアクセスするスターゲートはどこにでも聖地まで出かけなくても、そなた方次第で発見し知る者となれるのである。
あ・・・これらのことが、そなた方にどこまで理解され自分のものにされるのだろうか・・・?
今までの己の「想い・行い・語る」の心の点検が出来ていたとは言い難いのに・・・自分はできていたとかしていたとか他者にしゃべること自体が出来ていないことを知るべし。
人として・・・神の分け御霊(わけみたま)として、己の「想い・行い・語る」の部分を振り返りみて・・・「あの時は、悪かったな・・・」と己の人生に良くも悪くも師で演じてくれた数えきれない人たちに反省の想いや念が浮かんで来たら、素直に謝り謝罪をするなり。己は悪いことを他者にしたと気づいたらその他者だけではなく、そなた・・・己自身のために、心から悔い改めることが必要なり。
穢れ、曇った諸媒体・・・なかには霊体までも・・・それらを上記のようにしてきれいにするように意図し精進し毎日、努めなさい。
他者や世の中を憂うる己の感情が言うがままでは・・・そこには何も成長がないことを知るべし。
人類には動物と違い理性というものがある。
あ・・・あなたがたに幸せになってもらいたい・・・
この者(サラ)をとおして必要に応じてこのブログ等の記事にも関与して来たが・・・偏見や穿った見方や己の都合のよい単なる情報の一部としか解釈しなかったりと人それぞれであるが、なかには自らが求めているがために真摯に受け止めている者たちもいて幸いなり。
我はミナカヌシノミコトなり。この者とは最前線の光のプロジェクト当時から幣立神宮をとおして長年間の縁がある。幣立神宮だけでなく、日本全国の各地で必要に応じてこの者とその時々の状況等において、縁あるその目的を同じくする仲間のグループたちと共同創造をしたなり。
現在に至るまで、我らの共同創造の壮大な光を浴びて・・・中には己の過去世の学び終えていない学びの歪みが強調され浮上した者たちも多くいる。その解釈は人それぞれで自由意思であるなり。
人は、気付いたときからいつでもやり直しが出来ることを知るなり。
そなたがた人類はこれほどまで創造主の大愛に包まれていることに気づき知るなり。
この者は使命の側面において先月の初旬に4~5人のつまらない・・・よからぬ憤りの感情がゆえにそれぞれをとおしてよからぬ術をかけられたのが現実化されたなり。その罪は重いなり。己は関係ないと想っているやもしれないが・・・そこに至るまでの己の気づきや学びから逃げて感情の言うがままになっていたことを知るなり。その想いが強ければ強いほどにそれらの感情が波長の法則で引き寄せる霊魂の動きをも知るなり。知らずして?感情を使い術をかけることはないなり。
知らなかったという片手落ちはないのであるなり。なぜならば、その4~5人はかってこの者と一緒に共同創造という愛と奉仕・・・無条件の愛と無条件の受容を理解し自費で互いに全国各地に行ったなり。
その当時の一番最初の動機を思い出すなり。
心から悔い改めるならば赦されるなり。
そなたがたを我々は愛しているなり。
人類をこよなく愛しているなり。
この者のこの十数年間の使命・・・天命を思えば、今回のようにイエスも涙をする・・・ババジもまた同じである。我もそうなり。
このように人類の誰もが1人1人、その者に見合った光の存在方が見守り、導いているなり。
この者にブログを返すなり。
・・・何も言葉が出ない・・・
心ある人へ
心霊