①基本的な概念(福音) ババジより

 
「世に生を得るは、
            事を為(な)すにあり」

              坂本龍馬(※幕末の志士)
はじめに。私事で恐縮ですが、霊的ガイドとは別に今年から霊的な教師であるパラムグル・マハラジ・ババジと弘法大師空海のお2人から教えとサポートを必要に応じていただいている学徒の1人である私に、ババジからスワミ・スリ・ユクテスワ・ギリ(※パラマハンサ・ヨガナンダの師。私もまた、お導きの最前線・光のプロジェクトの前半の中盤あたり頃から詳細は割愛しますがパラマハンサ・ヨガナンダが必要に応じて霊的な教師でいろいろなことを教えてくださいまして、学び、サポートをしてくださいました経験が数年間あります。今も身近に感じ・・・私の師の1人でもあるその目的は同じですが違う内容ではありますが「永遠のヨギ・・・」関連のDVDを観て・・・また、度々思い出してどこか心情?がオーバーラップしている部分に想いを馳せる時があります・・・余談です)へご指示があった本の内容と全く同じ一部分を私もまたババジのご指示によって多くの人たちの霊的な目覚めのお役に立てれば幸いと心から願い永遠普遍の基本的な概念を役割で私なりの言葉で抜粋と共に書かせていただきます。
※至らない私自身もその聖なる科学である基本的な概念(福音)を学んでいる最中の学徒の1人に過ぎないことを記述。
神はなぜ体認しがたいのか
人は生来、直感的に目には見えないひとつの実体の存在を信じており、これに対する信仰心を内に宿しています。私たちの五感(視・聴・嗅・味・触)の対象である眼前の世界を構成しているもろもろの事物は、その‘一つの実体’があらわすさまざまな属性(現われた形相(すがた)でありますが、人間は、この‘属性’によって構成された肉体の中に自己意識を投入させているために、この不完全な肉体の器官が認識しうる‘同じ次元の属性’しか理解することができずに、それらの属性が起因する‘実体’については、実際に体認することができないのです。
それゆえ、この物質界の人間は、マーヤと呼ばれる‘神の幻術’によって映し出されているその‘属性’の中から自己意識を引き上げて、本来の神性を取り戻さない限り、この唯一の実体(父なる神を識ることはできないのです。
「そもそも信仰心は、願い事を実現する実体であり、隠れた真実を明かす証人(真理を洞察する知性)である」(ヘブル人への手紙より)
「そこでイエスは言われた『あなたがたは、人の子(自我意識)を引き上げたとき、初めてわたしがそういう者(世の光、上の世界から来た者、真の実体)であることを知るであろう』」(ヨハネによる福音書より)
「その(創造主・神・至上霊=パラムブラッマの)中に、すべての知識と愛の起源があり、あらゆる力と喜びの根源があります」
神の性質(プラクリティ)
現象世界を構成する全能の創造力(シャクティ)=(無限の姿形をとって万物を構成しているエネルギーの本源。その本質は‘喜び’で、永遠の至福(アーナンダ)とも呼ばれています)と、その世界をあまねく意識している全知の知性(チット)=(あらゆる知識・感情等の心理機能の本源。これはまた‘愛’(思いやる心、理解する心)であり、普遍の愛または全知の愛
とも呼ばれています)とは、父なる神の性質(プラクリティ)=(創造活動ー自己表現活動ーを演出する潜在的実体)を構成しています。
どうすれば神を体認できえうのか
人は神の似姿につくられているため、注意力を内面に集中すると、前述の神の性質である創造力知性が自分自身の本性として内在しているのを体認することができます。しなわち、全能の創造力は、‘楽しみ(ポークタ)’=(喜びを感じさせるもの)をつくり出す意志(ワーサナ)として、また、全知の知性は、それを‘楽しむ(ボークタ)=(喜びとして感ずる)意識(チエータナ)として内在している。
「神は、自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに人をつくり、男性と女性とにつくられた」(創世記より)
神・至上霊(パラムブラッマ)は、潜在するその性質から万物を顕現させる。全能の創造力の現われはオーム(※この宇宙の音は7.23の波長でオームという聖音を奏でていますので、聴く人によりいつでも聴くことができるようになっています。注釈:サラ)で、これから時間(カーラ)と、空間(デーシヤ)と、宇宙原子(アヌ)=(波動による創造物構成の原理)が生ずる」
オーム(アーメン、コトバ)  -  神の創造活動の第1段階
全能の創造力(シャクティ)=これは‘反力’として働く。一方、全知の愛(チツト)は‘引力’として働き、両者は互いに補完しあう)は、まず波動として現われ、独特の音を発する。この音は、オーム、アーメンまたはコトバなどと呼ばれています。
オームには、また別の相があります。それは時間(カーラ)=(永遠普遍なるものに変化を与える観念)と空間(デーシヤ)=(永遠に一体なるものの中に区別を生じさせる観念)です。
四つの観念 - オーム、時間、空間、宇宙原子
更に、これにともなって生ずるのが、粒子の観念(宇宙原子(アヌまたはパトラ)です。したがって、これら四つ -  オーム、時間、空間、宇宙原子 - は、一つの同じものであって、本質的には単なる観念に過ぎない。
このオーム(コトバ、アーメン)が、外的諸現象(‘肉’)となって現われ、この可視的世界をつくり出しているのです。このようにオームは、父なる神の性質である創造力が直接、現われたものであって、いわば神ご自身の現われであり、神そのものと同一不可分のものです。それはちょうど、燃える力と火そのものとが同一不可分であるのと同じです。
「アーメンという信頼すべき真理の証人、神につくられたものの根源であるおかたがこう言われる」(ヨハネの黙示録より)
「初めにコトバがあった。コトバは神とともにあった。コトバは神であった。 ・・・・・・・すべてのものはこれによって出来た。出来たもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。 ・・・・・・・コトバ肉となり、わたしたちの内に宿った」(ヨハネの福音書より)
「創造物の根源は宇宙原子(アヌ)である。全体としてのアヌは、マーヤ(神の幻術)よ呼ばれ、個々のアヌは、無知(アヴィディヤ)と呼ばれる。
宇宙原子 - 創造主の座
前述の四つの観念を内的にも外的にも(形而上の世界にも可視的世界にも)現す宇宙原子は、創造主(神の霊、聖霊、光)の君臨する‘御座(みざ)’であり、創造主はあまねく宇宙原子の上を照らして宇宙を創造する。
ところが宇宙原子は、この光を反射して受け入れないため、全体としてはマーヤ(‘闇’真実を隠蔽して虚偽の幻影を構成する力)と呼ばれ、また、個々の宇宙原子はアヴィディヤ(無知・錯覚)と呼ばれる。
これは宇宙原子が人間を無知に - 自分自身についてさえも無知に - しているからです。
そこで、現象世界のあらゆる錯覚や混乱を引き起こす前述の四つの観念を、聖書は‘四つの獣’と言っています。
人は、自己意識をこの粗雑な肉体の中に没入させている間は、この根元的な魔力をもつ宇宙原子よりもはるかに低次元にあるため、どうしてもその魔法を見破ることができないのです。
しかし、自己意識をそれと同じ次元にまで引き上げたとき、この宇宙原子の正体を内的にも外的にも理解することができるようになり、同時にまた、全宇宙の実相を - 現象の世界も、聖なる霊の世界も(‘前にも後ろにも’) - 理解するようになるのです。
「御座(みざ)の真ん中と、御座(みざ)のまわりには、四つの獣が居たが、その前にも後ろにも、一面に目が付いていた」(ヨハネの黙示録より)
「パラムブラッマ(神・至上霊)の全知の愛としての相が、クタスタ・チャイタニヤ(聖霊)である。個人の自己意識は、それの現われであり、それと同じものである」
クタスタ・チャイタニヤ(プルショッタマ、聖霊)
父なる神の全知の愛(プレーマビージャム・チツト)=(全知の知性、普遍の愛)の現われが、クタスタ・チャイタニヤ(プルショッタマ、聖霊)で、宇宙遍在のであり、であり、創造主である。
これはまた、聖霊(神の霊、御霊(みたま)と呼ばれ、闇(マーヤ)=(宇宙原子)の上を照らして、そのあらゆる部分を神の方へ引き付けようとします。
しかし、マーヤもアヴィデイヤも、もともと反力であるため、その光を受け入れることができず - したがって、真理を理解することができず  -  反射します。
アバーサ・チャイタニヤ(プルシャ、神の子)
聖霊(クタスタ・チャイタニヤ)は、父なる神の性質である全知の愛が直接、現われたもので、本質的には、神ご自身と全く同じです。
そこで、この聖霊の光の‘反映’を、神の子(アバーサ・チャイタニヤ、プルシャ)と呼びます。
「このコトバに命があった。そして、この命は人の光であった」(ヨハネの福音書より)
「光は闇の中に輝いている。そして、闇はこれを理解しなかった」(同じくヨハネの福音書より)
「彼は自分自身のところへ来たのに、それらは彼を受け入れなかった」(同上より)
※今日は私の都合でここまでにします。毎日、書いて終わらせるのがベストかと思われるのですが・・・数日かけてとババジからご指示をいただいておりますこともありまして・・・私の都合にて少しずつ続きを書いてアップ予定をしていますので、どうぞよろしくお願いします。
私自身を含、全ての人たちが光の方がたのように、光り輝く存在になりますように願い祈りつつ・・・お互いに日々、少しずつでも精進できればと思うのです
Kitaro - 「Silk Road」を聴きながら・・・
           サラ・マイトレーヤ

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