目覚めに久しぶりに
「すべからく。 すべからく。 すべからく。」
のご神託の言葉を聞きました。
あらためて、ネットで調べてみました。
文化庁月報
平成24年7月号(No.526)連載 「言葉のQ&A」
「すべからく」の使い方より抜粋
万事万端浮世の事は,すべからく 総すべて科学的でなければならない。(国枝史郎 「加利福尼亜(カリフォルニア)の宝島(お伽とぎ冒険談)」 大正14年)
真に実在さるべきものは,かかる醜悪不快の現実でなく,すべからくそれを超越したところの,他の「観念の世界」になければならぬ。(萩原朔太郎 「詩の原理」 昭和3年)
ここに挙げた「すべからく」の二つの例は,「べし」や「べき」の代わりに「~なければならない」という言い方で受けられており,典型的な語形ではないですが,共に本来の意味で使われているものと考えられます。特に「加利福尼亜の宝島」は「すべからく」のすぐ後に「総て」があることから,本来の意味で使われていることが容易に理解できるでしょう。
では,「詩の原理」の方はどうでしょうか。ここでは,「真に実在するものは,当然のこととして,現実にではなく,現実を超越した「観念の世界」にあるべきものである。」ということが述べられています。
Aは当然Bにある,というとき,Aは全てBにある,と考えることもできるでしょう。この場合なら,「真に実在さるべきもの」は,全て「観念の世界」にある,と言い換えても,考え方それ自体は間違っていません。「すべからく」を「全て,皆」という意味で受け取ってしまっても,違和感が生じにくいのです。
これは,「すべからく~べきだ」という典型的な語形をとっている場合にも同様です。例えば,世論調査で挙げた文,「学生はすべからく勉学に励むべきだ。」はどうでしょう。「学生は,当然のこととして,勉学に励むべきだ。」という文意からすれば,「全ての学生は,勉学に励むべきだ。」ということも言えることになり,意味的につながってしまうのです。このように,「すべからく」は,意味的にも「全て,皆」と受け取られやすいところがあると言えそうです。
ちなみに、世界の雛形である日本の役割を危惧され神世七代のアメノミナカヌシノミコト様はじめ、アマテラスオオミカミ様、ニニギノミコト様他、この火の国(ジパング、日本)造りに携わりました神々様方が動かれた・動いているようです。
日本の古式伝統を重んじるなり。
己の立場を考えるべし。罪は重いなり。
※上記に付いて、パイプ役で書かされました。
私にはよくわかりませんが、日本の安泰を願いたいと思います。
by サラ
すべからく・・・のご神託
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