タイトルは、日本人の精神風土を熟成してきた原点で、夏目漱石の晩年の至言の教えで有名な言葉です。
則天去私(そくてんきょし)・・・私自身も自然に倣い敬い溶け合い一体となり歩いてゆきたいと私なりの歩を少しずつ紆余曲折しながらスパイラルで学んでいる学徒のひとりです。
昨日の朝、私のある準備が整ったので受け入れなさい・・・つまり、実践して光のロードマップを受け取りなさいみたいなことを霊的ガイドから云われて躊躇してしまった私がいたのです(--;
今までも何度かあったように畏怖・・・畏怖に対する恐さみたいな・・・何より自分がそれに見合っているのか?というような疑問符(?)にぶつかることがあるのです。そして、責任もです。
今回もそうで・・・時間が欲しく?て先延ばしにしたのです。心や身体のどこかで先延ばしにしても・・・どちらにしても霊的な準備が整ったのであれば受け入れるしかない・・・と声無き私の声が・・・魂からの声が響いて来た。
いつしか・・・明日(今朝)の朝には受け入れなくては私の光の道の歩みの歩に実践が伴わなければ知っているだけになってしまうことも。
何かの本に「光の道を歩く」と「光の道を実践する」ことの意味には違いがあること。
そうなんです・・・私なりの幾多の体験からでも「光の道を歩く」という言葉が隠れ蓑(みの)になり、ともすれば「光の道を実践する」の違いを都合のよい自分勝手な解釈で楽なほうをいつしか選択していることも多々あります(--;
5分でもよいので何も想わない・考えないでぼーっと自然と戯れる・・・私はこれらの時間を37~8年前頃から意図的に大事にして来たように思うのです。
学生時代は生まれ育った故郷の田舎があまり好きではありませんでしたが・・・20数年前頃から少しずつ考え方が変わり、数年前からは自然がいっぱいある生まれ育った環境に感謝をすることが多くなりました。
やはり、自然がいっぱいある生まれ育った恵みの環境・・・そして、今は亡き両親や祖父母たち・・・5人姉妹の4番目に生まれた私は・・・今までも度々、生まれる前に選択して来たこれらの環境があっての成長(魂磨き=霊的進化)の一環の流れに思いをめぐらすことがありました。
今に至るまでの人と人を紡ぐご縁の糸に魂磨きをお互いに切磋琢磨しながらして来て・・・時が至れば距離を置き自然と離れ、またそれぞれの道を歩いてゆく・・・必要であればまた再会したりと・・・良い悪いではなく、自然の摂理を思うのです。
そして、私たち人類は自由意志に任されていることもです。
私自身が私に思うことは・・・今までもそうでしたが・・・私が自分から決して求めるのではなく、霊的な準備が整ったら何もいわなくても与えられる(伝授といえば天からの伝授です)・・・説明のしようのないこの不思議さを実体験等を通して・・・
既にかなり前に終えている昔のような気がするお導きの光のプロジェクト当時の初期から対応する内容に合わせて1週間のマン・ツー・マンのレッスンを事前にあるマスター方から特訓でした・・・ネ
その特訓で私なりの準備が整ったら必要に応じたあるアイテムを授かり・・・その時にご縁をいただいていたお導きの光のプロジェクト当時のメンバーたちに、マン・ツー・マンで特訓を受けて私が使いこなせるようになったアイテムをパイプ役の私を通して授かるということに少なからず私は最初の人が一番大変なんだ・・・ということを表裏一体の身を持って何度も体験し知ることとなったのです。
なかにはそれらに期待をする人たちも少なからずいたりして・・・当時、人の気持ちも知らないでと思ったりしたこともあるけれど・・・大いなる計画のもとにが前提にあることも私なりにわかっていたので小我の囁きはそのような時にはいつも沈黙側に落ち着くのが常でした。
それらのレッスンのお蔭様で今も必要なパイプ役のときはゲームのもぐらたたきと同じで小我の囁きは沈黙側に落ち着くのです。
それらが四六時中・・・沈黙側に変わるように精進中の私がいます(^^;
「わたしたちは幸せになるために生まれて来ています」
絵に描いた餅の幸せではなく・・・心・・・ハートが求める光の道を歩く実践にフォーカスして精進していこうとまた思う私がいます。
当たり前の視点を少し違う角度から見れば・・・毎日が奇跡で(そう思えないこともありますが)、ありがとう!と感謝をせずにいられないことがあります。
周知の事実のように
光は音であり・・・言葉でもあります
まとまりのない長文を読んでくださいまして、ありがとうございます。
感謝とともに
by サラ
則天去私・・・
心霊