令和8年8月 東寺(京都) お大師さまのおことば № 189
迷悟我に在れば 発心すれば即ち到る(めいごわれにあれば ほっしんすればすなわちいたる)
(般若心経秘密鍵)
お釈迦様の発句教に「実にこの世においては、怨みに報いるに、怨みを以ってしたならば、ついに怨みの息(や)むことがない。 怨みを捨ててこそ息む」とある。
「やられたらやり返す」のであれば、相手と同じ立場になる。
仏教は「負けて勝」のである。その時、迷いの娑婆(しゃば)は、迷いを翻し、悟りに到る道場となる。
昨日(8/23)のお導き京都はとても暑くて・・・最後にお導きの東寺に乗るタクシードライバーより、40℃あるんです・・・と聞いて、何だか納得したのです。東寺の帰りのタクシーで京都駅に向かう途中の温度が39℃と表示されているのを観ました@@;
🌎(ご神託)先月に続き、先の広隆寺で・・・弥勒如来(弥勒菩薩)様より下記のご神託がありました。
「9月から(✻9月のいつからかの詳細に付いては、言及されていません。)末法の世に(今までの一部のようにではなく、←人類たちが、各自、自分たちが住んでいる生命体である惑星テラ(地球は今まで、人類の自分さえよければのエゴで周知の事実のように3回、自滅=滅亡しています。今現在の地球は4度目の惑星テラであることも学徒たちであれば周知の事実です。)の手入れはじめ、お世話の管理を意識してされているか・・・人類の誰もが日々、意識的に実践しているかどうか?の気付き&学びの準備期間の間を長年間を経て、ご覧になられていた様子のようでした。ご参考までに。)末法の世の中に降りて来られます。」と、いうお話のご神託がありました。
かなり以前から選民の解釈にも取られなりかねないキーワード?の書き方に違和感を感じていたひとりでもある私です。
生き残るという特別な存在みたいな解釈にも取られかねない受け身の受け入れは少し違うかな・・・?と、学徒のひとりとして思うことが時々、ありました。あります。
解釈の仕方にもよるかと思われるのですが・・・特別な人扱いは、私なりに四十数年間・・・永遠普遍の霊的真理の学びと研鑽、実体験等を通した学徒のひとりとして無いと思うのです。
コツコツと日々、研鑽して来た結果の魂磨きの霊性進化を通して・・・霊的なことは奥が深くて私にはわからないことばかりです。
が、私が素晴らしい先人たちはじめ、先輩たちと思うのは・・・やはり、コツコツと毎日、意識して魂磨きを目の前に置かれた日常生活の出来事等を通した気付きと学びの積み重ねの方がただなと思うことです。「継続は力なり」・・・私なりに好きなことわざのひとつです。
私たち人類には誰もに自由意志が与えられています。そして、責任も然り。のようです。
・・・よい悪いではなく、私たち人類は経験するために生まれて来ていることもです。
待ちの姿勢ではなく、1人ひとりの自立を云われて、かなり久しいです・・・ね・・・
お互いにみんなで後悔をしない生き方ができたらいいなあ~とお導き最前線の光のプロジェクト当時から・・・そのように思ったりして来た至らないながらの私がいました。います(^^;
至らない私が言うのもおかしな話かもしれませんが、学徒であれば誰もが永遠普遍の霊的真理の学び等を通して自然体で・・・個人はじめ、全ての人類たちのカルマ関連の解消等に気付き、特別な人は誰もいないと視点の解釈を変えて調和対応されれば・・・全てがそれなりに善い方へと流れて行きます=宇宙の法則=神法です。
全ては各自の自由意識に委ねられています。責任も然り。
めちゃくちゃ昨日の40℃の疲れが。。。。。。。
ではまたお会いしましょう~(^^)v。。☆🎵
感謝とともに
サラ・マイトレーヤ/サラ・クエスト
