わが同胞たちよ、自分が何者なのかについて、あなたたち一人ひとりが持っている理解は、まさに数千年にもわたって生きてきた幻の積み重ねだ。
あなたは単なる人間以上の存在である。ほんの限られた存在でしかない人間という生き物よりも、計り知れないほど偉大なのだ。
あなたは神そのものだ。つねにそうであったし、これからもそれは変わらない。
あなたはこの地上に幾世にもわたって繰り返し生き、自分から奪われるのを許してしまったある壮大な真理を、再び学ぼうとしている偉大なる不滅の創造主なのだ。
あなたたちはすべて、神自身から創造された神そのものだ。すべての生命の源からただひとつ直接つくられた創造物である神、さらにそこから生まれたさまざまな神々、それもあなたの姿だ。
生命を探求するという冒険の中で、あなたは崇高なる知性と細胞物質を統合し、神なる人間となった。
それは、神の精神が人類という名のひとつの形で表されたものであり、神々が、人間と呼ばれる自分自身の手になる創造物のすばらしさに感動しながら生きている姿なのだ。
男、女、そして人類、それはまさしく限定された哀れな存在に化身した神の姿なのだ。すばらしい変装を施した神の姿なのだ。
あなたは誰なのか? なぜここにいるのか? あなたの目的と運命とはいったい何なのか?
あなたは自分が単なる偶然の産物であり、ほんの短い時間ここに生きて、次の瞬間には消滅するためにだけに生まれてきたと思うのだろうか?
本当に?
以前生きていたことなどない、と思うのはなぜなのか?
なぜいま生きているのか?
なぜあなたはあなた自身なのか?
あなたはこの地上世界に何千回と生きているのだ。
まるで気まぐれな風のように、戻って来ては去っていった。
あらゆる顔や肌の色、主義主張や宗教を体験している。
戦をしかけ、しかけられ、王と召使いの両方を同じように生きている。
水兵にも船長にもなった。
征服者にも征服される者にもなってきた。
自分の歴史の理解の中にあるすべてのものに、あなたはなった経験がある。
なぜか?
感じるため、智慧を得るため、そしてあなた自身という最も偉大なる神秘を解き明かすためだ。
あなたは自分がいったいどこからやって来たと思っているだろうか。
単にひとつの細胞から進化した細胞の集合体なのか。ならば、あなたの目の奥からじっと見つめているのは誰なのか。
あなたに独自性や人格、性格、魅力を与える本質とか何か。
愛し、抱擁し、望みを持ち、夢を見る能力、そして創造するというとてつもない力を与えるのはいったい何なのか。
あなたが子どもの頃にすでに見せる知性、知識、智慧はどこで積み重ねてきたものなのか?
あなたは、永遠から見ればひと呼吸にしかすぎない今生の間だけで今の自分になったと思っているのだろうか?
貴方は、膨大な時間の中で繰り返し繰り返し生きることを通じて、いまの自分であるすべてになってきたのだ。
そしてその生の一つひとつから智慧を得て、あなたという独自の美しい存在をつくり出してきたのだ。
永遠という時間のほんの一瞬の間のためだけに創造されるにしては、あなたはあまりにも美しく、あまりにもかけがえのない存在である。
あなたを創造したのは両親だと考えているのだろうか。
あなたの母親や父親は、遺伝という意味では親だが、あなたを創造したのではない。
さらに大きな意味での真理では、彼らは愛すべきあなたの同胞だ。
そしてあなたは、やはり彼らと変わらぬほどの年を重ねた存在だ。
なぜなら、すべての存在は同じ瞬間に創造されたからだ。
すべては、神、つまり壮大で崇高なる思考が、己に想いをめぐらし、わが身を拡大して輝ける光となったときに生まれたのである。
それがあなたが存在を始めたときだ。
あなたが生まれたときなのである。
あなたの親とは、神のことだ。
すべての生命の父母原理である神なのだ。
自分は自分の身体だと考えているだろうか。
それは違う。
あなたの身体とは、あなたの真の姿である目に見えない本質を表に見せるマントにすぎない。
その真の姿とは、あなたの化身の内にある人格=自己という、感情や価値観の集合体のことだ。
こう考えてみてほしい。あなたは自分とは別の人間の、何を愛するのだろうか。
その人の身体だろうか。
違う。
あなたが愛するのは、その人の本質の部分、目の奥にある見えない人格=自己なのだ。
あなたが愛するのは、身体を機能させている見えない本質だ。
目を瞬(まばた)かせ、声の調べを奏で、髪を輝かせ、手には暖かい感触を持たせている本質の部分なのだ。
言ってみれば、あなたの身体はすばらしく高度な機械だが、それを使う存在がなければ、つまりあなたがいなければ、何の役にも立たない。
あなたはあなたの化身ではなく、思考、あるいは感情や価値観の集まりが、ひとつの独立した人格=自己として己を表現しているものだ。
自分の思考を見たことがはたしてあるだろうか。
人格を見たことがあるだろうか。
笑い声はどうだろう。
自分の身体がなければ、それを聞くことはできるだろうか。
自分が本当はいかにすごい存在であるか、あなたはまったくわかっていない。
というのも、あなたの真の姿は、風のごとく透明で目に見えないものだからだ。
私があなたにとって謎であるように、あなた自身も同じなのだ。
あらゆるものの中で最大の謎なのだ。
虚飾なしの自分がどういうものか、あなたは知っているだろうか。
仮面なしの自分は?
強がりという鎧(よろい)がなくなった自分はどうだろう?
存在の内面にある核の部分では、あなたはまさに神そのものだ。
人類最大の神秘である神は、あなたの内面以外の場所にあったことはない。
あなたの目の奥に、衣服の下に、顔という幻影を超えたところに、神という思考の見えない美徳が確かに存在しているのだ。
あなたをあなたたらしめている人格=自己がそこにある。
あなたの内にある神こそが、あなたに信を与え、そして創造するというとてつもない力を与えてくれる崇高なる知性なのだ。
それは、あなたの生命を無限の時間の彼方まで、永遠に維持してくれるすばらしき生命の流れなのだ。
あなたがいま棲んでいる身体は、あなたの同胞である神々の手になるすばらしい創造物だ。
それは、思考と感情の見えない本質であるあなたが、自分の手でこの地上界に創造した生命と触れ合い、それを体験するためにつくられたのである。
人間と呼ばれる生き物は、表現するための道筋としてのみ創造されたのだ。
この地上のすべての創造物を最初につくった神々が、人間という化身の持つ五感を通じてそれらを体験し、理解することができるようにである。
身体は真の存在=自己を構成している、変動する光でできた最も複雑で高度な電気系統を宿すためにつくられた。
あなたの本当の姿は身体の大きさがあるものではない。
実は、ほんの小さな光の点なのだ!
その小さな存在=自己の中に、あなたが愛(いと)しい父である神から生まれて以来、あなたがなったものすべてが収められているのである。
神という本質であるあなたは、肉体の存在ではない。
形は丸く、燃え上がるような純粋なエネルギー(それは光の本質と言い換えることができる)が、創造的な人生の宝ともいうべき「感情」を体験するために、身体の中に生きているーーー それがあなたの姿だ。
本当のあなたとは、あなたが棲み家としているものとは別の存在だ。
あなたの本質とは、あなたが感じることなのである。
あなたを知ることができるのは感情を通してであり、身体を通じてではない。
あなたの真の姿とは、精神、魂であり、光の存在と感情の存在とが組み合わさったものだ。
あなたの精神、この小さな光の点は、あなたの身体の分子構造すべてを取り巻いている。
こうして、あなたの化身という固体を擁し、支えているのである。
あなたの魂はその固体の内部、心臓の近くにある空洞に位置している。
その場所は骨によって保護されていて、そこには電気エネルギーのほかには何も存在していない。
あなたの魂は、これまであなたが抱いた思考すべてを感情という形で記録し、蓄積している。
魂の内部に蓄積されたこの独自の感情の集合体があるために、あなたは固有の自我、アイデンティティ、人格=自己を持っている。
あなたが宿っている身体は、魂を運ぶ単なる車であり、この物質界に生き、遊ぶことを可能にするために選ばれた、洗練された手段にすぎない。
にもかかわらず、この手段でしかないものを通して、あなたは自分の本質が自分の身体だという幻影にどっぷりと浸かってきた。
それは違う。
神は像というものを持たない。
それはあなたも同じなのだ。
あなたはいったい誰が自分の人生をつくったと思っているだろうか。
自分以外の崇高なる知性、あるいは何かの力があなたの人生を支配してきたと思うだろうか。
それは知れざる真実ではない。
あなたがしてきたこと、あなたの人となり、それにあなたが体験してきたこと、すべてあなた自身にその責任がある。
無数の雄大な星を創造する力があるあなたは、自分の人生のあらゆる瞬間、すべての状況を創造してきたのだ。
どんな人間であるかは、自分で選んできているのだ。
自分の容姿も自分で創造してきた。
どういう生活をするかも、すべて自分で設計し、決めてきた。
それこそが神なる人に与えられた課題であり、特権でもあるのだ。
あなたは自分の思考過程を通して自分の人生をつくっている。
つまり、どう考えるかによってだ。
考えることはすべて、何かを感じさせる。
そして、自分が感じることはすべて投影されて表出し、自分の人生の状況をつくり出していくのである。
考えてみるとよい。
幸福を思い描くにはほんの一瞬しかかからないが、あなたは身体全体でよろこびを感じる。
誰も友達になろうとしないようなみじめな人間を心の中で演じるのもやはり一瞬でできることだが、すぐに哀しみと自分への憐(れん)ぴの情を感じるだろう。
ほんの一瞬なのだ!
泣くのをやめて、大喜びで笑うのにも一瞬しかかからない。
ほんの一瞬の間に、あなたは審判を下すのをやめ、すべてのものが持つ美を愛(め)でられるのである。
さて、いったい誰がこういったことすべてをやっているのだろうか。
自分の内面にいろいろな感情をつくり出すという空想をしている間に、あなたのまわりは何か変わっただろうか?
かわってはいない。
だが、あなた自身のほうはすべてが変わってしまっているのだ。
あなたはあなたが考えるとおり、まったくそのままの存在なのである。
あなたが考えることはすべて、あなたの人生でそのままそうなるのだ。
性交を空想すれば、あなたの存在は誘惑を体験するだろう。
みじめな状態を思いめぐらせばそうなってしまう。
不幸を想定すればそれがあなたの手もとにやってくる。
喜びを想定すればそれがやってくるだろう。
ある才能を思えば、それはすでにそこにあるのだ。
では、未来はどのように創造されるのだろうか。
思考を通してである。
明日というものはすべて、今日というこの日あなたが抱く思考によって設計されている。
それが感情面でのどんな目的のためであろうと、あなたが抱く思考、空想などは身体の内部に、ある気持ちを生じさせ、それは魂の内部に記録される。
その気持ちが、今度はあなたの人生のさまざまな状況についての前例となる。
つまりそれが、魂に記録されているのと同じ感情をつくり出す状況、それがマッチするような状況にあなたを引きつけていくのである。
また、あなたが口にする言葉は、すべてあなたの将来を創造するということも知るべきだ。
なぜなら、言葉とは、思考によって生命を与えられた、魂の内にある感情を表現した音であるからだ。
あなたは自分の身に起きることはすべて偶然だと考えているだろうか。
それは知られたる真実とは違う。
この世界には、事故や偶然というものはない。
そして、ほかの人間の意志や策略の犠牲者などという人間もいない。
あなたに起きることはすべて、考えること、感じることによってあなたの人生にもたらされているのだ。
それは、「もしこうなったら」という仮定の形、あるいは恐れという意識を通して空想されたか、何かはこうこうこうなると誰かほかの人間が言うのを、あなたが真実として受け入れてしまったものだ。
あらゆるものは、思考と感情によって定められた意図的な行為として起きるのである。
すべてのものがそうなのだ!
あなたが考えたこと、空想したこと、あるいは語ったことは、すべてすでに起こったか、これから起こるべく待機している。
いったいどうやってすべては創造されると思うか。
それは思考を通してつくり出されるのだ。
思考こそが真に生命を与えるものであり、けっして死ぬこともなく、破壊することもできないものなのだ。
あなたはそれを使って、自分自身に生命をもたらした。
思考こそが、神の精神とあなたとをつなぐ絆であるからだ。
時代を通じ、さまざまな存在がこの真実をみんなに教えようとしてきた。
謎かけを通して、歌を通して、そして書き物を通して。
だが、ほとんどの人間はこれに気づくことを拒んできた。
自分の人生に対する責任という重荷が自分の肩にかかってくるのを望む者など、ほとんどいなかったからだ。
だが、実際には、あなたが考えること、あるいは、自分について、父なる存在について、また人生そのものについてのあなたの価値観はすべてそのとおりになる、というのがもののあり方なのだ。
最も卑しい醜悪なものから、かけがえのない美しさをたたえたものまでもそれは同じことである。
なぜなら、その違いを知るのはあなただけだからだ。
父なる存在は、生命しか知らない。
だからあなたは自分の語るものを手にする。
あなたはあなたの考える自分そのままなのだ。
自分でこうと結論を下したものが、自分なのである。
自分をレベルが低いと考えれば考えるほど、あなたは実際なっていく。
自分に知性があることを認めてあげなければ、さらに愚かになっいくことだろう。
自分を美しいと思わなければ、あなたは卑しくなっていく。
なぜなら、あなたが自分でそう定めたからなのだ。
あなたはいったい何者なのか。
その存在の静寂の中に、考え、創造し、そして自分がなりたいと望むものなら何にでもなっていける力を持つ神ーーーそれがあなただ。
なぜなら、この瞬間、あなたは自分が選んだそのままの姿なのであり、それを阻むものなど何もないからだ。
あなたはすべてに法則を与える者であり、自分の人生と、そこにある状況を創造する者である。
あなたはまさに、すべてを超える智慧を持った知性でありながら、この生、そしてその他の数多くの生で、このことに気づかずに生きて来たのである。
(省略)
みんなは戦争や原発などの噂を恐れる。病を恐れる。人に認められぬことを恐れる。
そして、ほかの人間の目を見つめるのはふるえてしまうほど怖いというのに、愛と呼ばれる親しみの情を渇望するのだ。
自分に起きる良いことにはすべて疑いのまなざしを向け、もう二度とそういうことはないと思ってしまう。
成功と名声、そしてドルや円やルピーのために世間に出て争う。
ああ、それもほんのわずかなよろこびのために。
(省略)
ひとつの想念からいくらでも宇宙を創造し、天空の星に永遠の輝きをもたらすことができる力を持っているはずなのに、その創造主は、特定の信念、教義、流行や伝統などの枠の中に自分を押し込めてしまった。
限定された思考によって限定される思考、それによってさらに限定されてしまう思考。
本当の意味で、「生きる」ことを許さなかったのは、自分を信じようとしないあなた自身の疑念だ。
(省略)
みんなは人生における最高の贈り物を信じようとしなかったのだ。
そのために、はるかに大きな広がりを持つ、限りなき思考が浮かんでくるのを不可能にしてしまったのである。
幾度となく生を繰り返し、存在を繰り返す中で、あなたはこの地上界での幻にあまりにもどっぷりと浸りすぎたため、自分の内を流れるすばらしき炎を忘れ去ってしまった。
『ラムサ 真・聖なる預言』よりメッセージにて抜粋
ベガ=織姫座にある光の銀河連盟によるお導き「光のプロジェクト」のオペレーションは日本のレイラインを本来のあるべき形に紡ぐ最前線の共同創造の遂行役割を担っています。役割のあるライトワーカーの皆さん方が気づかれて倍増の環を紡ぐことを希みつつ・・・ また、そのようになることを知っています。
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