明治神宮・大祓いに参列

明治神宮も大好きな神社のひとつで結婚以来三十数年になりますがその時から毎年の初詣に訪れていたところです。

古神道の学校とのご縁があってから、神界組織のことを学び知り・・・地元の(※見極めて、本来の神様が座しているかの有無が必須条件)産土神社へ初詣に行けば連携をお互いに取ってくださっている歓びを知りそれ以来、最初に行く初詣は住んでいる地元の神社が最優先で行っています。

昨日の明治神宮・大祓いは、全国の神社で行われる1年の半分である半年分の禊祓いを目的とした夏越の大祓いと同じものです。

14:00からの神事でした。

連日の疲れで立っているのもやっとという感じでした・・・

が、カラスが2羽飛んで来て・・・「やたがらすです」と話してくださり飛び去りました。

祓い所では神人合一の神事が執り行われていました・・・

しばらくしたら・・・トート様が顕われていくつかのお話をしてくださいました。

余談ですが、数年前のある日にトート様が私の守護霊様を通して私とチャネリングをしたいと打診してくださったことがあるのですが・・・この世界に足を踏み込んで間もない数年頃に私は本物であるかどうかの見極めができなくてそのまま一言、返事をしたことで・・・私が泣きながら苦労してそれなりに宇宙の法則である霊的真理を少しばかり積み重ねて来た霊的段階がもろくもいともカンタンにくずれ落ちた体験があるのです。私の場合、良くも悪くも気づけばある時から自分の霊体や幽体等がそれなりにわかるというか・・・ある意味、一抹の自分のエゴを最優先すれば幽体がそれこそ曇ることを写実的に見(視)せてくれるというか・・・もの悲しい己の中にあるサタン=エゴとの戦いに疲れ果て疲労困憊したこともあるが・・・これでは幽体が曇れば曇るほどに磁石のように波長の法則は決して裏切らないのでそれなりのエゴを雪だるま式に引き寄せてしまうのです。これらの体験で少しくらいはエゴがあってもは動機とバランスの問題であることを何度も何度も繰り返し実体験で幽体が汚れそれなりに曇ることを視せてもらったというか・・・自分で体験を繰り返し、これではよろしくないと悲しくなり・・・肉体を持ち生きていくのは本当に大変だと心底、何度も繰り返し私なりの体験を良くも悪くもしたのです。それらが今も私の人生を歩くための心構えの基本となっています。が、今もそれらのエゴとの葛藤は油断をすればあります。ゆえに心の点検は理屈を言う前に必須なことは明白なことなのです。それらがあり・・・トート様とのチャネリングの役割に私は黙して守護霊様にも返事をしなかった経緯があるのです。また、昨年はその件で後悔をしたことも事実でした。至らなく申し訳ないと・・・。

トート様は降ろされた霊の書等で見る姿といつも同じです。ただし、カラーでです。

大祓い終了後にご本殿でご縁のある方がたと参拝をして振り返ると・・・大勢の神々様方が四の鳥居の前にいらっしゃいまして頭を下げられているのです・・・

無名で何も力など何ひとつない私(たち)にこれほど頭を下げられる意味は何なのでしょうか・・・!?

多くのライトワーカーの皆さん方はそれなりに知識として(?)の非常事態である地球の在りようを理解しているようなのですが・・・・

共同創造のパイプ役としての観点からみると・・・どうも自分の感情で選り好みをしていることが優先順位のようで・・・そこらあたりがどうも要の問題点であり、神々様方がどうすることもできない泣きどころの部分のように見受けられるのです。

あまりにも悲し過ぎます・・・

自分たちの住んでいる地球をこれほどまでに神々様方がご苦労されて気づくように促してくださっているというのに・・・まだ、そのことに気づかない自分の意識に着目することがこの地球のおかれている状況を少しでも変えることができることさえも・・・もう、気づかないほどに自分が・・・が(我)・・・が(我)が優先なのでしょうか・・・!?

心を一瞬でもいいので純粋に・・・透明感にすれば・・・誰もが神々様方が憂いていて・・・泣かれていらっしゃる神様方にも気づかれることでしょう・・・

いつ、何が起きてもおかしくないとテレビ番組報道等でも繰り返し流されています。

それらは警告のようです・・・

何もしないで・・・何か起きてからではもう遅いのです!

それでもよいのでしょうか・・・?

私はイヤです。

微々たるパイプ役かもしれませんが・・・自分に後悔だけはしたくない。

自分をぼやかして楽な道を選択したくない。

これらは私がこの世界に足を踏み込んだ三十数年前より私の最初のお師匠さんご夫妻から何度も何度も教えていただき知った学びのひとつでもあります。

至らない私ながらも・・・今までのお導きに感謝をこめて(合掌)

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