数日前に・・・先月の9月が終わろうとしているお月見の日でもあり満月に近い頃に時々、あるように突然のお導きがありました。
この長年の光のプロジェクト関連での共同創造におけるパイプ役のお導きは私自身の数えきれない体験からもありますし、必然的に自ずとそれなりに気づきと学びを兼ね添えたいつものように少しハードルが高くなり対応できそうな光の使徒=ライトワーカー=ワンダラー達が求められるのが常であります。
霊的段階は前世絡みも当然、ありますので早くから関わっていたからとか最近から関わったからとかは一切、関係ありません。ないのです。
要はそれらの神事にパイプ役として共同創造に関わろうとする1人、1人の動機が主軸なのです。
そうでないと・・・神法=宇宙の法則=霊的真理=ダルマの法=因果律=因果応報は動機により常に結果がもたらされます。
お導きの共同創造関連は、私とて神事なので気づけばもうかなりの数年になりますが早朝の始発出発であっても始発バスが間に合わないときはいつもタクシーを予約して乗り行っていたのですが・・・そのような場合でも必ず、シャワーだけは欠かした事が無いのです。
宿泊した翌朝の早い出発の時でも必ず、いつものようにシャワーしてからでないと始まらないのです。
その意味は・・・私のわからない本質の部分が神事に関わるということは心身の禊(みそぎ)をして罪穢れを浄化してからという前世からの良き気づきと学びが継承されていたことにある日、気付いたことがありました。
それほど、己自身を律していかねば遂行責任者が務まらないことも長年のお導きの幾多の体験でご縁のあった・ある同志達の命までも関わっていることを知ったというか・・・体験で知らされたというか・・・それ以来、事あるごとに「皆さんの命を預かっている。」を踏まえてお伝えさせていただいていたのです。
ある時から、それなりに準備の整っている方がたから中盤の頃あたり(?)から核という呼称の責任者を2人が中心になって責任という経験とそれなりの実質の伴なった体感で参加者の命を守るという責務をも少しずつそれなりに体感を繰り返したはずなのですが・・・後に核の呼称の役割が遂行責任者という呼称に変化していきました。
それらの役割の呼称に「何をやっても自由だ!」と最初の頃は勘違いされていた方がたもいたようですが・・・今はもうそこらあたりの勘違いに離れてみて気づかれただろうか!?
表裏一体のこの現実世界の枠組みや価値判断等を共同創造のパイプ役等を通して壊し解体していく役割の呼称にステータスを感じ覚えていた諸氏もいたことは否めません。
それはその方の気づきと学びのレッスンでした。
常に気づきと学びはお導きの光のプロジェクト等の関連に限らず、日々の日常生活を通して誰もが知っていても知らなくても生まれて来た目的である霊的進化=霊格=人格=魂を磨くように導かれていることは、学徒であれば誰もが周知の事実であり明白なことです。
されど・・・お導き関連と日常生活とを別けて考えている諸氏の方がいたことも自ずと明白であり周知の事実のようです。ようでした・・・
話を戻します。
と、言っても上記関連と別なものではありません。
すべてではありませんが・・・多くのライトワーカーの同志達が神事をどれほど軽んじて来たかに想いを馳せ重ねてみれば自ずとわかり・・・反省をする者なり。
今回の9/29のお導きは島根・出雲大社に始まり、命主社(いのちぬしのやしろ)、上の宮、奥の宮の日御碕神社。
これらが終わり宿泊先に行くレンタカーに乗車しているときに、珍しく翌日の空白だった30日のお導きがありました。
それは・・・結果的に京都・元伊勢の籠神社(このじんじゃ)、奥の宮の真名井神社へのお導きでした。
完結の総仕上げで結ぶ・・・島根・出雲大社と籠神社、真名井神社にたどり着くまでの・・・壮絶なる、人類の気づきと学びを促す残りの相反するものたちの役割で邪魔が入ることを神々様方は既にご存知だったから前もって知らせてくださらなかったのです。
お導き関連のほとんどと云っていいほどに・・・詳細等は知らされません。知らされないのです。
それは・・・私なりのこの30年半の体験等を通して、またお導きの光のプロジェクト等を通して体験・体感等を通してです。
今回、お導き関連で前日(9/29)の夜半にかけて時計の日付が変わる頃までみんなで島根・松江から京都・天橋立までどの方法で行くのが一番最良かを調べたのです。
結果、お導きのサポートがあったようにワンウェイの乗り捨てレンタカーを利用することに決まり、翌朝の早朝に既存のレンタカーを返却して新たに他のレンタカーを借りる手配等を行いました。
その日は、翌日(10/1)の私自身の出張・ご依頼関連もこのような流れになることも知らなかったので入っていることもありましたが・・・レンタカーの運転がNG!と来ていたのでそのそのようにしました。
30日の早朝より、ある方のよろしくない想念が来て霊的に戦いを挑まれて・・・泣きながら私は授かっている剣の1つのシャルル・マルテルの剣の刃の裏を使い応戦し「どうして、わかってくれないの・・・」という表裏一体の霊的な私が視えていて当然、それなりの体感もあります。
ある方のよろしくない想念は・・・今まで隠し持っていた部分がえぐり出されて、役割でその方の気づきと学びの選択肢のどちらを選ぶかの最終チャンスを問われていることも嫌な役割のパイプ役の私にも学びを予ねられて来ていることも知っていました。
その数日前に2度ほど・・・ある方の予期しないプライド等をへしおる役割を念が来ることを承知でやらなければ、ある方が取り返しのつかない・・・後悔するであろう砦?を取っ払う命懸けの役割の序盤戦に過ぎないことも私なりに漠然とですが知っていたとういうかわかっていたのです。
神事を軽んじていいはずはありません。
霊的真理=神法=スピリチャリズム等の知識や経験を知るごとにそれらは良くも悪くも作用してくることは宇宙の法則です。
自分の投げたボールは良くも悪くもいずれ自分のところへ必ず返って来ます。
私たち、他者を欺くことができても・・・神々様方には嘘は隠すことは出来ません。皆無です。
なぜなら、私たち、人は背中に見えませんが「自分の想ったことやしゃべったこと、行動したこと」=「想(思)い・行い・語る」のすべてが記録コンピュータに記録されているからです。
間違っていることに気づき、心から悔いあらためれば、それらの×の印が△に訂正されたり解消されたりするのです。
知っていてするということは罪が知らないですることよりも重いのです。
それゆえに責任が伴なうと云われることに繋がるのです。
ご承知のように宇宙の真理です。
何事もよい加減に・・・お釈迦様の教えにある中道です。
神様方は私たちに決して100%を望んでいるのではありません。
100%は完全であり完璧を意味します。
完全であり完璧であれば、誰もが今ここに生まれて来ていません。
不完全であるからこそ・・・この遅れた次元のテラ=地球という学び舎に、私たちは魂を磨くために誰もが生まれて来ているのです。
日々の日常生活を通した気づきや学びに対して、素直に受け入れて真摯に努力していくか、反発等の反抗をするかはいつも私たち、個人の自由意志に任されています。
どちらを選択してもよいのです。ただし、責任も然り。
神様方は、私たちの努力する姿勢等をご覧になっており、51%以上のバランスが取れていればよいようです。
100%は無理だけど・・・51%以上であれば、私にも素直にどうにか真摯に努力ができるかなといつも想うところです。
9/30の京都より近くで起きた後続車のレンタカーに、台風は来ているけれどもまだ台風関連圏には入っていなくて・・・風もないのに長さ4メートルの大きな大木が倒れてボンネットに直撃したのです。それだけではありませんでした。現場検証で警察管の話でわかったことは合計、4本の木がボンネットだけではなく屋根の上とリアウィンドの右上部をこすり取るように少し穴が空いているのも見ました。
幸い、神様方が護ってくださったので・・・車の惨状をみれば、同乗していた3人の誰もがケガの1つもしていないことがまるで嘘のような話です。
後続車から「木が落ちて来た」の連絡を受け聞き、車を停めて後続車が来るのを少し待ち、到着しました。
私たちは乗っているレンタカーをすぐに降りて、後続車の惨状を見たときに・・・瞬時にまたも私を狙われたことが理解できたのです。理屈抜きの私の長年のお導き・光のプロジェクト関連の体験からです。
高速はいつものように控えていました。途中の道の駅で休憩したときになぜか?後続車にお貸ししていた広隆寺のお守りを返していただかなくてはと思い返していただき私たちの車にそのお守りを着けたのです。
そして・・・不思議なことに私が運転を変わろうとしたら、運転が出来ないほどにフロントガラスやサイドの窓が曇り、いつものようにエアコンをフロントガラスに設定してもそれらガラスの曇りは無くなりませんでした。
運転を違う方に変わると信じられないほどにフロントガラスもスッキリ!と曇りがなくなりよく見えるようになったではありませんか・・・
私は運転をしてはならない・・・この意味を当然、考えて見ました。邪魔をよりされることは漠然と把握していたのですが・・・
まさか、私の命をそこまで狙われていたとは・・・上記関連の事故等を通して、今回の完結の総仕上げとは途中まで知らされていませんでしたがこれらの説明しがたい摩訶不思議な出来事を見えない世界関連が表裏一体でした真実を話しても警察をはじめ、誰もがとうてい信じてくれないであろうことは今までの体験でわかり私なりに理解・認識していました。
申し訳なかったのですが・・・後続車関連で起きたことなので私自身は控えることにして、成り行きの表裏一体の動きがそこまでして籠神社と真名井神社に繋ぐことを邪魔する意味の流れに想いを巡らしていたのです。
そのときに・・・神様から「このようなことが起きてありましたが、あなたたちはこれから目的地の籠神社と真名井神社へ行ってくれますね。行っていただきたいのです。」とお話があり、みなさんでどうしても行かなくてはと集結して行きました。
レンタカーを近くの最寄営業所に返却変更して(もっとも走れる状態の形態ではないことは一目瞭然。)、電車で行くことにしたのです。
それら事故に対応するために、ドライバーにウォークインされた天のマスターがいらっしゃいました。そうでないと対応できなかったこともです。マスターがウォークインしてくださっていた同志には自分の思いや考えと想われたかもしれませんが・・・それらはウォークインしてくださり身体を使ってくださっているマスターの実際の対応の思いや考えが反映されたものです。今後に備えた貴重な体験・体感をされたかと思います。
私たち、人間は無です。なに1つ、力等はありません。
善きことは全て、神様が顕現されて成されています。
多くの役割のあるライトワーカーたちが「自分には力があると勘違いして道を踏み誤る大事な分岐点の見極め」の部分がいつも心の点検で問われ続けています。
方向を誤れば「銀河鉄道」を途中下車してしまいます。途中下車から銀河鉄道に再び、乗車するのは困難を極めます。が、心から素直に非を認め受け入れて、真摯に悔いあらためればいつでもやり直しができるのです。できます。
だからといって、神事を軽んじて・・・また、どうせ復帰がカンタンにできると想うこと事態が軽んじていることになるのです。
神様方への反発や反抗心も・・・本当に真摯に学徒の道を求めているのであれば、それらに至らないはずかと思います。
なぜなら、私たちは生かされていることを既にスピリチャリズム=霊的真理を学ぶ誰もが知識をはじめ、体験等をしている基本の部分です。
そのようなことが起きても・・・例え、あっても不平・不満の吐き出し・解消も必要ですが短時間で終わらせることも必然的に自ずと体験・体感するものです。
よく云われるように、長引かせると魔が入ります。
世界政府をもくろんでいた相反するものたち関連はご承知のように既に終わってはおります。
が、私たち人類の魂を磨く=霊的進化=霊格の成長=人格の成長関連で残されている相反するものたちがいることも真実です。それらなくしては私たち人類の成長は在り得ませんから。お互いに切磋琢磨や試行錯誤しながら共に光の天使へと階段を登っていることは古(いにしえ)より言い伝えられていることは周知の事実であり明白なことです。
愛するある同志へ
すべての全容が明らかになり・・・私を含めた数人がそれらを知ることとなりました。それらの隠された全容を素直に動機関連をこれはこれ、あれはあれと区別していたことがそもそも既に間違いのはじまりだったようです。
私たちは誰もが必要なものはすべていつも与えられています。いるのです。
個人単位で。または夫婦単位で。あるいは家族単位等でです。
不足分が生じるということは・・・何かの見直しを問われているということのようです。
どこに重きをおくのか・・・
表裏一体のバランスをとるために趣味等も必要です。
しかし、それらのオーバーランをしてはならないのです。
まして・・・それらのオーバーランに拍車をかけるようなエゴの囁きやプライド等に振り回されたらダメなのです。
そのようなことにはまってしまえば・・・取り返しのできない惨状を招いてしまうことになり兼ねます。
それらは神事関連の出費でお金がなくなってしまったとか少なくなってしまったとか今までも複数人の同志の方がたから苦情をいただいたことも正直に8年7ヶ月の間に多々、ありました。
とまれ! それらは神事絡みでなくとも、誰もが自己責任の選択で引き寄せたものに気づくことが先です。
他者のせいにするのは楽ですからネ・・・
でも、本質の私たちは誰もがそのようなことは願ってないはずです。
裡なる神=内在の神性の顕現こそが幸せになる根源の源です。
ご本人の言葉から・・・素直にそれらの状況を神様から教えていただく前にお聞きしたかったです。
そうすれば・・・それらの状況も変わっていたかもしれないのです。
ただし、素直に聞き真摯に受け入れるかがいつも私たち、1人、1人に問われています。
エンドレスにです。学びは永遠と云われています。
霊的進化の成長にともない責任も応じてそれなりに度合いが生じて違って来ることはご承知のようにです。
「幼子のような無邪気な心が天国をもたらす・・・」と言い伝えられています。教えにあります。
話が戻ります。
9/30、台風の接近圏に入り・・・天橋立からタクシーで元伊勢の籠神社へ行き、ドライバーさんに待っていただくことにしたのです。
籠神社へ行く途中から急に空が明るくなり・・・タクシーのドライバーさんも変なお天気だな~!?と不思議がるほどに風や雨があるものの・・・龍神様が姿を顕してくださり「大丈夫ですよ」とお話をしてくださいました。
本当にその通りでした。
奥の宮の真名井神社へタクシーが到着すると・・・久しぶりの真名井神社の石段が夕暮れ時と台風関連もあるというのに神々しく光輝いて出迎えてくださったのです。
鳥居をくぐり石段を登りはじめたら・・・サラ、ご苦労であったと聴こえて来て涙がうるんで来ましたが、まだ繋ぎ終えてないのでそれが終わるまでは泣いちゃダメ!と自分に言い聞かせ律したのです。
ご挨拶をして繋がせていただき・・・それから同志達と裏手にまわり、それぞれの磐座(いわくら)にご挨拶と共に光を繋がせていただきました。
籠神社と真名井神社にたどり着くまでに・・・いいえ、前夜のお導きを聴いたときに本格的にお導きの光のプロジェクトが始まった地は8年前のこの真名井神社で当時、導かれて参加した同志たちと「まなの壺」に入ったお神酒をそれぞれに飲むように誘われて飲んだことを思い出していたのです。
京都・元伊勢の籠神社の奥の宮・真名井神社で始まり・・・同じく真名井神社で終わり全完結したのです。
真名井神社の別名は元伊勢大元宮とも云われています。
彦火明命様が丹後の地にご降臨され、真名井神社に元初の神・豊受大神をお祀りされたのです。
天ノヨサズラ(ひょうたんのほめことば)に天の真名井の御神水を入れてお供えしたのでこの宮をヨサの宮(吉佐宮)と云います。
私たちはお導きで知らずして最初に来た当時に彦火明命様より、天ノヨサズラに天の真名井の御神水を飲むように云われて飲んでいたのです。
それが・・・8年の月日をかけて元の出発点である真名井神社へまたこのような形でお導きがあるとはその当時、予想だにもしておりませんでした。
残念ながら・・・その当時、お導きの光のプロジェクトが本格的に始まる経緯に立ち会った同志メンバーは私を除き、誰も残っていないことに気づいたのです。
寂しいですネ・・・
ここに至るまで・・・私をはじめ、誰もがそれぞれに・・・また、お互いに気づきや学びを絡めた試練等があったことはご承知のようにです。
本当に霊的なことは妥協しないので厳しいものがあります。
その流れのなかでたくさんのご縁をいただき、現在に至っております。
この数年間は素晴らしい方がたとの出会いも含めて、サナトクマラ様が「当初よりチームワークを大事にしなさい。相反するものたちが、私たちを仲たがいにして解体をもくろんでいることを何度も教えてくださいました」。
それらを既に地で行かれていらっしゃる多くのライトワーカーたちとのご縁と出会いに何度、感謝したかはかりしれません。
けれど、今までご縁のあった・ある方がたのライトワーカーの皆さん方の誰1人が欠けても、どれが欠けても、これらの光の紡ぎ直しが完成することはありませんでした。
完全なるもう1つの併走されていたミッション等が完結されたことは実に本当に嬉しく私なりに感無量で、これらに関わったすべての同志に感謝を捧げます(合掌)
間に合って良かった!!
しかし・・・もう少し早めに全完結に至っていれば・・・と思うのは私だけではないと想うのです。状況や流れが違って来ますから・・・
ある同志が昨日(10/1)・・・「実は、自分も・・・9/30はサラの命を狙われたとそのときに思った。ごめんなさい。」とお話をしてくださいました。
今まで、事あるごとにお導き関連で命を賭けていると何度も記述して来たのは私なりの幾多の体験等を通して・・・生半可な気持ちで神事に携わることはできない気づきと学びを至らないながらもして来た真実に基づいたからです。でした。
それらを言葉でいう複数の同胞もいましたが・・・おそらく、そこまで把握してくださっていたかどうかを答えることは私にはできません。
厳しいようですが・・・今、現在がその結果です。
他者のことは私にはよくわかりません。
霊的なことも奥が深くて・・・私にはわからないことだらけです。
わかっていることは・・・私自身のやるべきことというか役割というか己を律し心・体・魂のバランスを整える修練です・・・
今回の全完結に至るお導き関連は最後まで台風関連の影響を受けながらも・・・いつものように絶妙なタイミングで何もかもが関東に帰宅するまでにお計らいがありましたことに感謝とお礼を申し上げます(合掌)
二十数年間、生きて私たち家族を癒し元気にしてくれた今は亡きネコのチビコと、やはり今は亡き、我が家に笑いをいつも提供してくれたネコのトラ吉ことトンへ、助けてくれてありがとう!
2匹がこんな形で29日の往路の電車で姿を視せてくれるなんて・・・やはり、意味があったことを終わってみて実感したのです。
至らない長文をいつも最後まで読んでくださり、ありがとうございました(感謝・合掌)
光と感謝とともに
by A.M サラ・マイトレーヤ
