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神々が最終的に自分たちを男と女という形体へとつくりかえていったときに、そして、その際に他の創造物よりも人間を賢くして、肉食動物から逃れられるようにするべくすべての意識を集中したとき、それまでとは違う生の状態に入っていったのです。
皮肉だったのは、人間を餌食にしようとする動物から逃れられたとしても、意識のかなりの部分を占めるようになってきていた生存という価値観からは逃れられなかったことです。
神性が宿る化身の身体を結局だめにしてしまったのは、生存の価値観であり、死への恐怖でした。
人は、何でも自分が恐れるものになっていくからです。
(人が)創造したあらゆるものの中で、恐れほど破壊的なものはありません。
※創造=思考の意味
なぜなら、恐怖の影に怯えながら生命を表現できるものなどひとつもないからです。
さて、(神性が宿る)人間として死を体験したとき、そこにあったただひとつの望みとは、この物質の天国を体験し続け、この世界でさらに多くの創造を成し遂げることでした。
自我は膨大なものだったのです。
そうして、(神性を宿る)人間は、喜んでこの場所に戻って来ては、さらに良い存在へ、もっと良い存在へとなっていきました。
自分たちの内に感じた「劣っている」という気持ちを何とか解決し、この場所での創造性に「優れている」という資質を表現するためです。
しかし、さらに良いものになろうという価値観と欲求をとおして、人はこの次元の物質界にあまりにどっぷりと浸かったために、自分が神なるものであり不滅であることを忘れ、必ず死を迎える運命にある物体と化してしまったのです。
それに、創造を考える過程にあった、すべての生命とひとつであるという叡智は、この次元に恋してしまう以前でさえ、競争と「偉大さ」「優秀さ」などの想念を通じてすでに失われはじめていました。
すべてとひとつである状態は、本当にわずか一瞬、ほんの一呼吸しか離れていないところにあるのです。
自分の存在の内奥で、どんなものとも別の存在でありたくないと願うとき、あなたはもはやそうではなくなります。
すべての思考から自分を分離して来たのは、あなたの価値観、限られた思考、そして、変容を来たしてしまったアイデンティティなのです。
思考に対する価値判断を取り除くことによって、思考の全体性に戻ることができれば、二度と自分のいる場所を見失ったり、まわりと離れてしまうことはありません。
そうすれば、あなたは多くの人にとって、父なる存在と波動の合った状態に戻る道を見つけるための光となっていくのです。
(省略)」
※「ラムサ_ 真・聖なる預言」ラムサ著より抜粋
