雨ニモマケズニ・・・のようにありたいと想う

先ほど、庭を眺めながら・・・朝陽を浴び、いつもの小鳥の朝を告げるなんともいえない可愛いいくつもの鳴き声を聞き・・・十数年も前に購入した鉢植えを直植えにしたデラウェアが昨日よりも今日はまた実が大きくなり増えていることに自然の営みに笑みがこぼれた。

忙し過ぎる?と自然のありがたみを忘れそうになるけれど・・・忘れてはならない自然のありがたみ・・・

見えざるものに誰かと勘違いされて困惑したこともあるけれど・・・今となればそれらもしたくない体験のひとつだったのかもしれないとプラス思考で解釈したいと思います。

私たち、人類は、誰もがこの世に生まれて来てもの心がついてきた幼い頃より・・・今、現在に至るまで良くも悪くも日常生活を通して自己鍛錬をして来ていることに気づかされます・・・

毎日の日常生活を通して・・・誰もが成長するに連れて切磋琢磨や試行錯誤をとおして・・・嫌でも自己判断と自己責任の鍛錬を長い間して来た結果が今、現在の自分の在りようと知ります。

他者に自分の在りかたを委ねるのは依存であり自立とは言い難く・・・ある意味、責任逃れになるかと思うのです。

私は他者の敷いたレールの人生を歩きたいと思いません。

だって、それでは自分の成長もありませんし・・・つまらないと思うのです。

人に聞いて欲しいと思うときも多々、あるけれど・・・よほどでない限りは極力、控えるようにしています。

リンクの「和やかな環」に先日、同胞がマザー・テレサの名言集をいくつか抜粋して記載してくださっていたように・・・それがいつしか習慣になりパターン化すれば運命と成り得る・・・くだりを読めば・・・更にその考察をと私は自分に思いました。

いつの頃からか気づけば・・・宮沢賢治先生の「雨ニモマケズニ・・・」のような生き方を私もしたいと想うようになっていました・・・

ほど遠いのですが・・・

少しでも毎日の日常生活をとおして・・・基本の人としての他者へ迷惑をかけないという在りかたと、おかれた環境のまわりとの調和を保つべきバランスの学びを自然と誰もが鍛錬していることに気づくものです。

成人した我が子たちに幼い頃によく言い聞かせていた言葉が・・・今もなお、自分に同じように「想(思)い・行い・語る」の心の点検が日常生活をとおして・・・宮沢賢治先生の「銀河鉄道の夜」とシンクロするのです。

かって、最初のお師匠さんだった方から・・・『銀河鉄道を途中下車したら・・・再び、乗るのが困難になるから気をつけないと・・・』と教えてくださった意味が最初はわからなかったけれど・・・何年も経ったある日、それなりに私なりにわかったのです・・・

それ以来・・・至りませんが私なりに『銀河鉄道に乗車し続けたい・・・』と想うようになったのです。

『雨ニモマケズニ・・・』のように・・・『銀河鉄道』もまた途中下車しないように目の前におかれた日常生活の出来事等をとおして、誰もが知っていても・知らなくても自己鍛錬という成長を自然としている壮大な摂理にまた驚かせられるのです。

そして、私たち・・・誰もが等しく自然の壮大な摂理に優しく抱(いだ)かれていることにも気づくのです。

ギブ・アンド・テイクと一般的によく言われていますが・・・本当は「相手をダメにしないギブ・アンド・ギブ」なんですよネ

何事も自分との折り合い・・・

そこらあたりのさじ加減を間違わないようにしないと・・・難しい学びですが昨日より今日、今日より明日はもっと上手に出来るはず・・・を信じて・・・

当日に行ったことはないけれど・・・昨夜は京都・鞍馬でウエサク祭が夜、7:00からあったんですよネ

霊的なことについての、世界的なウエサク祭についてはかなり何年も前から知っていました。満月の夜に行われることもです。

昨夜の満月は夜空にキラキラと煌いていて・・・いつもと違う輝きを放っていたようにも私なりに体感しました。

月明かりの優しい煌めく光に包まれているように思いました

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