「神は御自身を分離されはしない。
神は御自身の中に、御自身の肖姿(にすがた)を創造(つく)り給う。
これがあらゆる人の裡(うち)にある光である。」
「わたしたちはすべて同一の生命に属する。
なぜなら、生命は生命自身の中で異なったものとは成りえないからである。
形態には生命の〔顕現〕程度はあるが生命それ自身は非人格的であり、生命みずからの創造(つく)った形態を通じて自分自身を表現する。」
「生命である神霊(みたま)によらないで存在するようになったものはひとつもない。
生命の〔顕現〕程度は、生命を認め、生命を表現することによって理解される。
故(ゆえ)に、御自身に似せてわたしたちを創造(つく)り給うた神は、わたしが生命を表現し、生命が神なることを知る程度に応じて、わたし(たち)を通して顕現(あらわ)れ給う。」
「神の生命を自分自身の意識において認め、かつ表現することによって、大生命の顕現媒体となる。
意識が神の自己表現する点であり、同時にまた自己の裡(うち)にまします神我という神を表現する点である。」
「このことをあきらかに自覚するならば、その時こそ大生命そのものの秘密が吾がものとなった(なる)のである。」
「自分が肉(体)によるのでもなく、人間の意志によるものでもなく、神なる神我(キリスト意識)によって生まれたものであることを知る人々以外には、今尚、この真理は大衆に対しては秘められている。」
※神我とキリスト意識は同一のものです。単純に既存のキリスト教のキリスト意識と色めがねで解釈をされがちではあるが違うもので永遠不滅です。イエス・キリストとイエスとは違うことを知っている人たちであれば、神我。キリスト意識。内在の神性がいずれも同一のものであることを理解と認識しているので自ら神霊(みたま)御自身をその程度(理解と認識)により〔顕現〕し給う媒体となるのである。
「心身の神癒」 M・マグドナルド・ベイン著/仲里誠吉訳 (霞ヶ関書房)より抜粋
