はじめに、ことばありき・・・
これらは限られたキリスト教徒だけではなく、広く一般的にも聖書をはじめ、黙示録等にも書かれている言葉ですので誰もが知っています。
朝・・・いえ、かなり前からだったと思うのですが・・・時々、どこからともなく思い出したように聞こえて来ることがありました。
昨日あたりから・・・それはとても顕著に具体的にある出来事等を通して・・・そうだったんだ!と私なりにわかったことがありましたのでシェアーさせていただきたいと思います。
私たちは誰もが完璧で完全ではありません。
それゆえに日々の日常生活の出来事を通して誰もが知っていても・知らなくても自然と霊的進化をしていることは周知の事実のようにです。
今まで・・・時にはある方にとってはとても大事な気づきと学びで、どちらの道を選択するかの分岐点のようなときに、ある方のためを思い嫌な役割を多々、させていただいて来た体験が私なりにあります。ありました。
私もまた三十数年前からの最初のお師匠さんご夫妻にも辛い嫌な役割を度々、していただいたものです(感謝をしきれないほどの感謝・合掌)。
※多くの同胞たちがもっとも嫌がる役割です。自分はいつもよい人でいたいし、またそのように見られたいからのようです。ハッキリ!いえば、プライド等のエゴです。
それらの嫌な役割をさせていただいた時に・・・その時は本人も心から反省の悔い改めをしていたと思われるのです・・・
涙を流したり、泣きながらの反省の会話等は、まやかしがかなりあるのでこれも私にとってはいろいろと気づかせていただく学びの体験等がありました。
それら関連等で・・・気づかせていただいたので今度、会ったときに御馳走をさせてくださいとかお礼をしたいと思います等々・・・を言ってくださることも多々、あるのです。
それらを期待している訳ではありませんが・・・結果として、そのようなことを言ってくださった方がたのその後は残念ながら内容は違えど同じような繰り返しをしていることに気づかされることが多々、あるのです・・・(メールでの反省や悔い改め関連等もニュアンス的にはきれいな言葉で表面上はまとめていても・・・伝わって来るものがなくて、同じようなことがあるようです。)
嫌な役割をした私にではなく・・・ご自分のけじめとして、自分の言った・・・発した言葉をないがしろにしてしまった(例えば、御馳走やお礼をしたい等の言葉です)ので終わるはずだったものがそのままになり・・・一見、終わったように見えていてもその実は自らがその場を取り繕った「ことば」が宙に浮いたままになっていることに気づかないままに・・・また、同じようなことを繰り返してしまうようです。
上記に限らず、その場しのぎを取り繕う言葉?は・・・霊的真理を探求し研鑽している学徒(たち)にはご法度で必要ないことも是非、知っていただきたく思うのです。
「自分の言葉には責任を持つ。」
言いたくない嫌な役割を長年間させていただきながら・・・このことを私なりに特に最近はより加速されて来ている次元上昇中のエネルギー関連を通して、「誰もが自分の言葉に責任を持つ」ことが大事なんだということを気づかせて学ばせていただいていることに気づいたのです。
ほんのちっちゃな・・・ささいなことだけど・・・
私たちは創造する神の分け御霊(みたま)です。
神の子供です。
気づいた人(たち)から・・・ひとすじの光が輝きはじめます
ひとすじの光がたくさん灯れば・・・瞬時に光が増し輝きます
大難が小難になりますように願い祈り行動に移します
いつも読んでくださいまして、ありがとうございます。
感謝と和・輪・環とともに・・・
by サラ(サラハト)
