心もよう・・・

今までもお導き関連等で嫌な役割を必要に応じてさせていただいて来た経緯等が数えきれないくらいあります・・・
自分のことをさしおいて、人様のことを言える立場ではありませんが・・・それでも世のため人のために何らか微力ながらもお役に立ち・・・そして、その当事者の方がたの課題でもある学びに気づかれることが、知っていても知らなくても世の中・・・世界中のあらゆる自分と同じような環境や状況、同じような想いや考え方等をしている不特定多数の方がたの気づきや反省をもたらして宮崎・幸島の100匹目サル現象が起こる奇跡?を本当の意味でどれだけの人たちが知っているんでしょうか・・・?
至らないながらも・・・そのように時々、思う私に気づくのです・・・
三度目ならず・・・四度目の正直で気づいていただきたく、このブログに書くように朝の目覚めのときに詔をいただきました。
けれど・・・私自身がもう書くことが嫌だったのです・・・
※確かに、その当事者だけではなく・・・似た同じような知っている同志たちをはじめ、見ず知らずの同志の方がたへもご縁があれば天のお計らいで読んでくださることも私なりにそれなりに知っています・・・
そして、そのかわりに・・・また、お電話をすることにして、したのです。
おそらく・・・聞かされるほうは嫌だったことでしょう・・・
私をとおして神様や守護霊様が時々、あるように話される場面もありました。
最後に・・・私は嫌われてもいい。世のため、人のために微力ながらお役に立つのであれば・・・と、いつものようにしゃべっている私がいました。
※同じように個人宛にメールを書かされることも・・・私に限らず、何人もの同志の方がたがいたと思います。余談ですが、真摯にその嫌な役割の意味を解釈していたのであれば、まさか?の自分にそのような出来事等が起きた時に自分のメンツを壊された?とプライドというエゴ等に邪念をささやきかけられても、心弱く低級霊の言うがままに屈服をすることはなく、自分の学びという課題に正面から対峙しようとするのが光の道を歩いていく決心をしている私たち・・・学徒たちへのある意味、試練のテストでもあるのです。人により、他者に優越感を感じて嫌な役割をしていた方がたもいたかもしれません・・・!? その答えは今の現状をみれば、「百聞は一見なり」で言わずもがなであることがそれなりにご自分でもわかると思うのです。あの時・・・自分はよく他者にえらそうにいえたなぁ~と思わざるを得ないんじゃないかな?と思われるのです。ただし、心からの悔い改めがなければ意味がありません。そして、次なる行動に移さなくては「絵に描いたもち」になってしまいす・・・早く、気づいてください。
そして、他者をあまり傷つけたくない?・・・と、言いながら(想いながら)・・・その実、自分が可愛くて、他者に嫌われることを恐れていた・いる人たちのなんと多さをどれだけ見せていただいて来たかも数えきれないくらい体験させていただいて来ています・・・
また、何でもかんでも知りたがる傾向がある人たちがいることも知っています。その知りたがりの人たちへ・・・知ると言うことは、その知った責任も伴うことも知ってください。それらの責任を負うことの準備がまだ整っていないので天の大いなる大愛で知らなくてもよい・・・自分にとって、必要のないことには関わらなくても善いようにお計らいをしてくださっていることに気づき・学び、宇宙の理(ことわり)を知る人となってください。自分勝手な判断は早計で・・・あなた自身をダメな人へと言い訳ばかりの逆戻りへの道へとはずみをつけてしまう傾向がありますので注意・・・心の点検が必要で必須です。
お話が戻ります。
今日ほど電話を終えた後に言いようのない・・・これまでのいくつかの詔を当事者たちに役割で直接、または当ブログにてお伝えさせていただいて来たのですが・・・当事者たちが求めので、その天の答えを詔の役割でお伝えしたのですが・・・そのほとんどが本来のその方がたのいわゆる「恥をかいた・・・」や「恥をかかされた・・・」という思い込みの部分の・・・その方がたの中にある自分のエゴとの戦いに勝利しない限り・・・恥も外聞もかなぐり棄(す)ててしないと・・・本来あるべき姿を顕現することは難しいようです。それらを多くの同志たちは知識としてそれなりに読み・学び・・・知っていることばかりだと思うのです。実行に移すのがそんなに難しいのだろうか?・・・と、走馬灯のようにめぐり・・・涙が滲んで来た。
言いようのない涙が滲んで来たのです・・・
立ち上がることの出来ない私に・・・何気なく前方を見た私の視界にたくさんの神々様方がいらっしゃっていて拍手をしてくださっている光景が視え聴こえたのです・・・
あ~ 間違っていなかったんだ!これで善かったんだ!という思いに安堵したのです。
先日、少し書きかけた・・・私の受け入れる学びというか課題は・・・身内のシルバーコード(※私たち、人間の魂と肉体を繋いでいる銀の紐(ひも)のことです)が切れかかっているビジョンを折りに触れ何度も何度も視せていただいて来た経緯があった・あるのです・・・
もう、15~6年前頃になるかと思いますが・・・実家の母が末期がんで入院していた当時に介護で何度も帰省していたのですが・・・母が亡くなる2週間前?くらいに病室で母のシルバー・コードが切れかかり1ミリくらい残されてかろうじてつながり生かされていることを初めて視て知った実体験がありました。
この世を全うして次の次元へ行く時に・・・死の宣告を事前にされていても1ヶ月もったりすることもよくあります・・・
その意味は、亡くなる方の身内やその方と関わっていた方がたの気づきや学びにある程度・・・互いに気づかなければ・・・亡くなる時期が来ていても、残される側の人たちがそれぞれに自分の学びに気づかなければ、逝けないことも当時、実家の母をとおして体験で学んだのです。
その後も・・ご依頼関連等を含めた、様々な場面で・・・私の場合、シルバー・コードが切れかかっている様子の在りようも人それぞれの切れ方があることも視せていただき知ったのです。
もちろん、生死に関わるお話ができる時と出来ない時のほうが多いです。これも身内の方がたの人となりを考慮してという私自身の学びの課題が常に基本にあり、また宇宙の法則に触れないように各個人の学びのチャンスを奪ってはならないという絶対法則に遵守がコスモ・カウンセラーの基本姿勢の在りようなのです。もっとも、カウンセラーの役割当時からも、この宇宙の法則に遵守する基本姿勢は守護霊様はじめ、霊的ガイドの皆様方の教えに則り、今も何ら変わることはありません。ご参考までに。
もう・・・長い間、もたせていただいていますので・・・特にこの2ヶ月近くは一番、辛かったですね・・・
もちろん、誰にも話していません。
話せる訳がないじゃないですか。
・・・と言いながら書いている私がいます・・・
今まで、受け入れなくちゃ・・・と自分にその都度、言い聞かせていた私が実はいたのです。
生命(いのち)は永遠ということも学び知っています。
けれど・・・私も生身の人間です。
前もって・・・このような形で視せていただきわかる辛さ・・・はきっと、誰にも理解できないと想うのです。
泣きたい時には泣けばいい・・・
と言いながら・・・どこかで受け入れたくない私がいたのです。
そのはざまの時期が本当に辛く悲しかったのです・・・
が、今はなるようになる。
と気持ちの整理が私なりに出来つつあります・・・
もっとも、それらを忘れるほどに次から次へとご依頼をはじめ、お導き等をいただき・・・想ったり・考えたりする暇がないほどに忙しいことがありがたいのです。
本当は一昨日に行く予定だったところへ・・・昨日(12/27)は、15:00にやっと自宅を出て、大変お世話になりましたある神社の宮司様へご挨拶に行くことが出来ましたことがとても嬉しかったのです。
その都度、ささやかな気持ちのお礼を同志たちとご一緒に・・・また、別件等で私なりにさせていただいていたのですが・・・今年はどうしてもささやかな気持ちのお歳暮を持参して、お礼のご挨拶をしたかったのです。
お孫さんも12/23に生まれましたとお聞きして・・・先日より赤ちゃんの姿が時折、見(視)えていましたので・・・やはり、そうだったんだと嬉しく・・・お祝いを申し上げることが出来ました。
その後で・・・ご本殿前にて参拝をさせていただきました。
注連縄(しめなわ)のシデが揺れて・・・ねぎらいの祝福をしてくださるのがわかりました・・・
天命を全うする大変さを・・・私なりに今年ほど・・・知ることになろうとは思いもしていませんでした・・・(--;
数ヶ月前より、連絡を控えなくてはならない状況にありますが・・・当時、最後の詰め・・・で一緒に行くために来ていただいたこと(当時の同志)もありました。
それほど・・・天命を全うするにあたり・・・邪魔・・・魔が入ることも多々、あるのです。
半年を過ぎた今だからこそ話せるということもあるのです。
ご多忙中のところにご迷惑をおかけしたのですから(※今なら言える・・・世のため、人のためになる・なったことですが・・・正直、その意味は至らない私にはよくわかりjません。知らないほうが善いということも多々、あります。あるのです。)・・・そのような意味で・・・私と守護霊様はじめ、神々様方しかわからない言葉には出来ないコツコツの積み重ねがあるのです。あったのです。それで、どうしても宮司様に直接、お会いしてお礼の感謝のご挨拶をしたかったのです。
注連縄(しめなわ)のシデが揺れて、ねぎらいの祝福をしてくださっているのがわかり・・・涙が出そうになり・・・苦労が実った喜びをまた再現させてくださり・・・私なりに込み上げて来るものがありました。
忙しいのは、みんな、誰もが同じです。
ひとつずつ、ひとつずつ・・・目の前に置かれたことを真摯に誠意を尽くして私なりにできることを微力ながら共同創造のパイプ役になれれば本望です。
人は1人で生きているのではないことを知り、多くの人たちの支えがあって、目には見えない支えもたくさんあります・・・生かされていることに感謝を忘れずに・・・今日も笑顔で微笑みたいと私なりのレッスンに思うのです。
いつも、まとまりのない長文を読んでくださいまして、ありがとうございます。感謝いたします。 by サラ

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