生命体である地球の次元上昇中に伴う明暗の危惧・・・

『天 は 人 の 上 に 人 を 創 ( 造 )ら ず 、
    人 の 下 に 人 を 創 ( 造 ) ら ず 』
「人類が助かる唯一の方法です。このことをブログに書きなさい。」と、昨日(1/15)、お導きをいただきまして行きました鞍馬寺のご祈祷のときの詔をお伝えさせていただきます。
また・・・「昨年の後半の数ヶ月あたりには・・・どうしても3割の人は残っていただきたい・・・」というような詔を数回、お導きのいくつかのとある神社のご本殿前にて声なき声のテレパシーで聴かされておりました。
・・・ところが、年が明けたお導きの昨日・・・「京都の広隆寺、鞍馬寺にて・・・2割の人でないと難しい・・・」というような詔を続けてお聴きしたのです・・・
よく自分はスピリチャリストだとか・・・ライトワーカーだとか言い・・・ある意味、ひとつのステータスに過ぎないことに多くの人たちがなっていなかったか?
「ステータス気分やおごりの自分の都合のよい解釈の選択の方法が・・・今まで間違っていたと気づく者は幸いなり。
わいわいお祭り気分でセミナーやワークショップ、はたまた講演等に参加することで、いかにも自分はさも共同創造の一旦を担(にな)っているというような錯覚を多くの役割のある者たちがしていることが問題なのです。
それらは、道しるべのひとつに過ぎないことを知れば・・・自ずと各自が自分を律するのです。
いまだ、その境地や学びの部分に到達していない自称覚醒者のなんと多いことか・・・
覚醒者は自分のことを覚醒しているとか、覚醒したんだとか・・・何ひとつ想ったり考えたりはしないものなのです。
ただ永遠不滅の宇宙の法則を学びながら毎日の日常生活に活かし、神法の奥ゆかしさに驚きながら黙々と試行錯誤を重ねて光の道を歩く者なり。」
※時々あるように、途中から書かされたようです。ご参考までに。
自分の生まれて来たバースビジョンや青写真(ブルーリボン)を多少なりとも知っていたり、自覚している人たちであれば、今までの古い世界の枠組みや価値判断等が崩れ去りつつあり・・・
それらの古い世界観だった枠組みや価値判断を率先して壊していく役割を担う人たちが、自らステータス等にしがみつき手放すことが出来ない要因はどこから来ているのでしょうか・・・?
まさか?・・・自分にとって不都合な部分を優先順位にあげていて、後回しにして来たツケ?に必要に応じて、ある日、誰かがその人の気づきや学びから逃げないで!と蹴飛ばし・・・目覚まし時計の役割(嫌な役割)をしてくれる時があります。あるのです。
責任転嫁やカモフラージュをするのではなく・・・それら関連等を今、振り返り見つめ直す再チャンス到来!・・・もしかしたら、ラストチャンスの時かもしれないと真摯に謙虚に受け入れる人(たち)は幸いなる天の祝福の宴に呼ばれるやもしれません!?(そのとおりだそうです。今、詔にて。)
昨年後半のとある日、「UFOを身内の方がたと一緒に見たのです。」とお話をお聞きした後日・・・テレビを観ていたら、この時は福岡でたくさんの人たちがUFOを同時に見ていたというお話が放送されていました。
私にはよくわかりませんが、今は亡き渡辺さんの「宇宙船が天空に満つるとき」(※題名が間違っていたら申し訳ございません。)の本を、やはり今は亡き以前に二十数年間住んでいた当時の東京・町田市の年配の先輩の同志からこの本を読んでと貸してくださった内容は本の題名と同じで・・・それから視るともなしにこの30年近く宇宙船の壮大な艦隊を何度も視ています。私の学びの部分で視せられて来たのでしょうね。
今年も最近になり、昨年の上記福岡関連のUFOについてテレビ番組でまた私は観ました。
至らない私が言うのもおかしなものですが・・・今、立ち上がらないで(※実践という行動は自分の片手間でするものではなく、すべてが多次元でこの学び舎である幻想の現実世界と表裏一体での魂磨き等。)・・・いつ、するのでしょうか・・・?
以前、流行語大賞にもなった「やるなら、今でしょう!!」
余談ですが、「やるなら、今でしょう。」の言葉は降ろされたのですね。今、詔で初めて私は知りました。
私たち、人類の1人、1人の日常生活における「想(思)い・行い・語る」の部分が、負の加担になっているのかどうかの心の点検を意図的に誰もが・・・特に生まれて来た目的や役割をそれなりに知っていたり、自覚して認識をしているのであればなおさら必要なようです。
あなた自身が後悔しないためにです。
私事で恐縮ですが・・・お導きの昨日、広隆寺と鞍馬寺のご祈祷のときに新たな宇宙名を授かりましたが・・・今回で三度(みたび)のサラ・マイトレーヤの宇宙名でしたm(--);
実は・・・今までのサラ・M・ホワイト・イーグルの宇宙名はサラ・マイトレーヤ・ホワイト・イーグルが正式名でした。
私自身には何ひとつ力等はありません。
最初の時と同じで、こんな私でなくとも他に有名・著名人の方がたがたくさんいるというのに・・・どうして?必要に応じての共同創造ですが、こ~んな至らない私を使ってくださるのですか?と疑問符だらけが毎回、正直な気持ちです。
宇宙名や新たな宇宙名を授かったからと言って、それらについて考えたり想うこともありますが・・・その時だけで、いつもは正直、忘れています。そんなことをいちいち気にはしていません。おっとりした性格もあるのかもしれませんが・・・なんでもそうですが、いちいちこだわっていたらやってられませんのでそれが至らない私なりの本音です。
違う解釈の遠近法でみれば、だからこそ、誰でもその人となりで日々の日常生活で起きる出来事の「想
思)い・行い・語る」のそれらがどこから来ているのかを見極める意識的な努力をたえず意図していれば、万人の誰もが共同創造のパイプ役になれることをそれなりに体現していることを知らしめている気づきと学びの課題に気づく者は幸いなり」。
それも絶えず努力のプロセスがあっての51%以上のバランスが取れてさえいれば・・・中道とも云うが、ただそれだけで善いことをこの者(サラ)に役割で今まで数えきれないほどに書かせ、書いて伝えたはずじゃ。
心せよ。
ひとえに、誰もが己しだいじゃ。
道はいつも開かれておる。
損得勘定をするなかれ。
駆け引きもするなかれ。
※途中からまた書かされたようです。ご参考までに。
  文責  光の存在方   サラ・マイトレーヤ

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