今日は久しぶり?に庭に出て(※ここのところ・・・リビングダイニングのワイドガラスの戸などを空気の入れ換えと共に開け放してすることが多々あり)私なりのオリジナルのお祈りを含むいつものエクササイズが出来・・・その違いを歴然とあらためて体感したというか・・・言葉に出来ないありがたさに心・体・魂が三位一体で「私って、幸せ~!!」感を身体中でまた奏でているのがわかったのです。。☆
体力温存と云われるくらい・・・自分ではわからない部分などでかなり消耗していたことがあらためてわかるというか・・・不器用ながらも必要であれば、またその人たちの人生に関わる繰り返しの転生でのカルマ解消がなされるラスト・チャンス!ということもあり・・・それらは個人だけの問題ではなく、私たち人類にもある側面で関わりがそれなりにあることを知れば・・・霊的真理(スピリチャリズム)を多かれ少なかれ学んでいる学徒であれば・・・なおさら、おそらく?誰もが放ってはいないことでしょう・・・
でも・・・ネ・・・いつもながらですが、最終的には結論は、本人自身が気付かない限り・・・いくら言っても無理なんですよ・・・ネ
・・・「私たちは考える葦(あし)である」
この言葉は、パスカルの「パンセ」の中の言葉です。
意味は、「人間は自然のうちで最も弱い葦の一茎に過ぎない。だが、それは考える葦である」として、自然において、脆弱だが、思考する存在としての人間の本質を表現したもの。
※ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説 コトバンクより参照。
私たち人類には自由意志が与えられています。その選択肢の自己責任も然り。
ひとめぐり?して・・・また、そこにたどり着く。
他者の学びと思えば・・・関わるなかで、結果的に自分の学びになっているということにも度々、気付くのです。
人は・・・このようにして成長してゆくことに感慨深いものがあります。
けれど・・・これらは本気・・・真剣に謙虚に関わらないとわからないかも知れない?・・・と思うのです。
知らないという無知・・・それらの無知が繰り返されて・・・人はあることについて知る人と成り得る・・・辛苦と解釈するのか?・・・新しい発見の喜びと解釈するのか?・・・はたまた、今は考えたくない・何も思いたくないと保留にして先送り?にするもよし・・・(そのぶん、大変になるようですが・・・これも学びのようです)・・・
私たち人類は・・・本当に自由意志に委ねられていることにあらためて思うのです。
良い悪い・・・とかではなく、ただ経験があるだけ・・・
私たち人類は・・・何事においても・・・自分がこの経験を十分にしたから、もういいです・・・と納得するまで・・・それらの経験をするようです。
自分がそれらの良くも悪くもの経験を(繰り返し)求めたから・・・目の前の日常生活を通して・・・「さあ、あなたはどうしますか?」と学びの課題が浮上して来るようです。
人生は、このようにどこまでも無限の学びの課題がその都度、浮上して成長・・・霊的進化を続けていく考える葦である。
またひとつ・・・私なりに学びがありました。
先日の台風7号に続き・・・広範囲の豪雨で甚大な被害が今もなお続いています・・・
最近、テレビ番組などで避難勧告では遅く、避難指示が出たら避難するほうが良いのです・・・と言うような報道番組をいくつか観ました。
タイミング・・・
何事も・・・その流れのタイミングの見極めが大事であること・・・を、またあらためて教えてもらったと私なりに思うのです。
たくさんの方がたが犠牲になり・・・行方不明の方がたもたくさんいらっしゃいます・・・
自然の脅威・・・猛威の前ではなす術もなく・・・
私もまた・・・どうすればよいのか途方に暮れる・・・のです
朝のお祈りを含めた私なりのオリジナル・エクササイズを終えた後・・・「(今後、何が起きても)ノアの箱舟が用意されています」と云うご神託をいただきました。そして、そのことをブログに書くようにと。
心ある方がたへ・・・そして、ご縁のあった・ある方がたへ・・・これらが届きますように希(ねが)い祈りつつ・・・
私もあらゆることに自分の感情を入れずに・・・見極めて、言葉と行動が一致する人が本物といわれているように精進してゆきたいとあらためて思ったのです。
問うは、自分の心の奥深い聖所にいる神の子・・・分け御霊(わけみたま)なり。(※光の存在の方より)
在るがままに・・・
by サラ
つぶやき・・・と向日葵(ひまわり)
心霊