太陽祭司たちと古代の祭祀   抜粋

「私たちが話題にしている遥か昔の時代には、私たちの偉大で賢明な教師たち・太陽の祭司たちが、人々を、儀式・祭式を通して指導しました。
彼らの、万物の創り主なる大霊に対する愛と崇敬心は、そうした祭祀によって、敬いつかつ真摯に表現されました。
彼らは祭儀をとおして、天使たちや見えざる力の助けや祝福を仰ごうとしたのです。
そのようにして呼び出された見えざる光の光線は、彼らのより緻密で精妙な諸媒体を刺激して、夏・冬の支点時や春・秋の分点時など、特別な時期に地上に注がれる光や祝福を受けやすくしました。
それら4つのお祭りは代々、お祝いをされて来ました。
クリスマスの頃の冬至で人の霊は鼓舞されます。
春分には春の訪れに喜びと感謝の気持ちが高鳴ります。
そして、太陽が天頂に近づく夏至の日には、再び人の霊が鼓舞されると共に、色彩豊かな花々や大地の実りが熟されつつある喜びに胸がいっぱいになります。
その気持ちはやがて収穫の実りの採り入れである秋分の日へと至り、再び、深い感謝の気持ちで満たされるのです。
物質主義が盛んな今日にあっても、今、なお人類はそうした行事に反応しています。
それはこれからも変わらないことでしょう。
と、いうのも、そうした祭祀は世界そのものと同じくらい古くから続いて来たものだからです。
今日、行われているキリスト教のお祭りの多くは、遠い昔のそうした祭祀に起源がありますが、そこには顕現していた霊的な力やその奥義の多くが失われてしまいました。
なぜなら、一般大衆はその内的な意味を理解できず、祭祀の意味を正しく理解して行うことによって利用できるようになる助けや祝福から遠ざかってしまったからです。
幾つかの教会で感じられる無気力さや冷やかさの原因は、そこにあります。
けれど、司式者である聖職者が霊的に目覚め、一般大衆に祭祀の霊的な意味を教えられるようになれば、彼らを通して、真の霊的な力が光と共に流れ込み、集まった一般大衆に天の光をもたらすことができるのです。
私たちは、皆さんが神社や宗教的祭祀の背後に存在する見えざる活動を理解して正しく評価できるようにお手伝いをしたいと思います。
とはいえ、私たちが言っているのは、皆さんが霊的な力の消え去った陳腐な祭祀等に戻るべきだということではありません。
私たちが意味しているのは、神社や宗教生活の祭祀を通して利用できる力を毎日の生活の中で、寺院の外で、利用できる霊的な力を認識するべきだということです。
皆さんは、祭祀に関して学ぶべきことがたくさんあります。
皆さんは神仏を正しく礼拝する上で、人類を助け癒し祝福するうえで、祭祀がどのように役立ち得るか、理解をしなくてはなりません。
いつの時代にも各新時代のための祭祀が常に然るべき時に、それぞれの神社や宗教に紹介され、人々が真我の驚異に気づくようになるように、より精妙な諸媒体を刺激するために用いられて来ました。
その昔、勧請(かんじょう)される目には見えない霊的な力を賢明に用いることができるほど、魂が充分に霊的進化する前に、祭祀が行われることがありました。
祭祀の霊的な力が、愛も叡智もなく無情に用いられると、破壊的なものとなります。
そうしたことが過去の時代に何度か起こりました。
逆に、祭祀とその霊的な力が、私利私欲のためではなく、私心のない純粋な動機で用いられるときには、建設的なものとなります。
そのときの霊的な力は白魔術であり、大白光・キリスト光のものです。
遥か昔にインディアンによって用いられた魔術は、善のものであり、白魔術でした。
祭祀関連では、動作・言葉・音楽がみんな関わりあっています。
言葉を正しく使うと、見えざる霊的な善き光や力を引き寄せ集めることができ、それらを形態化し、物質界の誰かやどこかで癒しや平安をもたらすために共同創造のパイプ役でお役に立つことができるのです。
言葉は、隠された霊的な力を統御する最初の代行者なのです。
動作も、昔の寺院や神社では大いに活用されていました。
もしも・・・皆さんが、心と霊を尽くして、踊っている踊り手の動作に伴って起こることを透視できたとしたら、そこに創られているとても美しい光の模様や光の形態を目にすることでしょう。
霊的な力は、気づき・学びの繰り返しの積み重ねの霊的進化の過程で自ずと求めなくとも顕現して来るものなのです。
純粋な動機によって顕現された霊的な力が理解をもって創られた場合、より高いエーテル界に創られた、それらの光の形態は次第に結晶化して、物質化されるようになります。
※注釈:物質化については、物理の量子力学等で日本においても証明され学会で発表されていますことを付記。抜粋者の私は二十年近く?になるかもしれませんが、桜美林大学にてご縁をいただき当時のお師匠さんや同志たちの複数人で流れのお導きにて出席させていただきました。ご参考までに。
過去の時代を振り返って、しばしの間、皆さんの時代の学者にとって謎である複数の巨石寺院について考えてください。
彼らは、そんな大きな巨石がどのようにして、そこに置かれたのかがわからないでいます。
でも、私たちにはわかります。
巨石寺院は、祭祀の霊的な力と言葉=言霊(ことだま)の力によって建てられたのです。
もう一度、皆さんに思い出していただきたいのですが、祭祀とは見えざる霊的な力を統御して活用できるようにする手段なのです。
そのような精妙な精神力は極めて実際的な力なのです。
もしも、皆さんの霊眼が開かれたのなら、きっと納得なさることでしょう。
祭祀が執行されると、煙が立ちのぼるように輝いた旋回(スパイダル)する光が顕われて、その光は何度も旋回しながらエーテルの柱のようなものになり、時には、極めて優美な光の柱(神柱/かんばしら)になるということを。
時が経つにつれて、それらの光の柱はますます実体化してきて、その素材であるエーテル質は終には物質となります。
エーテル状のものは、やがて固体化するものだからです。
遥か昔のことを思い出しては、当時の祭祀について語りました。
その祭祀を通して、人々は大白光霊を礼拝し、見えざる霊的な力を勧請していました。
例えば、彼は人々が折々に日の出を待つために集まった様子等を話してくれました。
人々は、日の出を迎えるために寺院に集まりました。
そして、山々に囲まれた平坦地に建つ寺院の周囲を広々とした空のもとに無数の星々の光を受けて輝く寺院の周囲をそぞろ歩きました。
見える星・見えない星の光線が、その大群衆の上で優しく煌(きら)めいていました。
誰もが、自分たちは光の天使たちの導きの下(もと)に、礼拝をしているのだと知っていました。
暁(あかつき)の最初の光がかすかに顔をのぞかせると、群集は静まりかえりました。
辺りは深々とした静寂に包まれました。
やがて・・・にわかに太陽が現れると、人々はその光明に向かい、新しい日の到来を感謝しつつ、大白光霊を讃え、礼拝しました。
彼らは知っていました。
その太陽ロゴスそのものから来る光線で自分たちが強められ清められていることを。
また、日の出のときには、地上の人々に光を送り祝福を増し加えつつあることを、天使たちや大勢の光輝く存在者たちを目の当たりにできるということを。
満月の時も重要であったと、彼は言っています。
満月 - 古代人がより高尚な心・知性の象徴と見なした銀の月 - の夜には、私たちは静かに祈りつつ広大な山のあちらこちらを逍遥(しょうよう)しました。
あたりはまったくの静寂、リズミカルな足音以外、何も音はしませんでした。
満月の下で、私たちは期待しながら夜明けを待っていたのです。
やがて、黄金の太陽が輝き出て来て、満月に変わり姿を見せてくれました。
ここに、誰でも自ら学ぶべき人間の進化に関する真理が象徴されています。
人は知性を穏やかなものにして、真理を吸収できる理解力の水準に達するように準備をしなくてはなりません。
その水準に達すると、霊なる太陽の黄金の光線による受胎の用意が整います。
そのようにして、魂と霊・人知と神智・人と神は出会い結ばれます。
満月と太陽、これは人と神の神秘結婚を表すもうひとつの象徴なのです。
「太陽祭司たちと古代の祭祀」より、詔にて抜粋させていただきました。
※私記:折りしも今月の5月15日が満月です。私の見間違いでなければ・・・京都・鞍馬寺では本日(5/13)、満月祭であるウエサク祭が執り行われるとご本殿入り口のところにご案内をしているのをお導き関連等で先月より数回、見ています。ウエサク祭については、私なりに世界各地で執り行われていることは十数年前頃からそれなりに知っていました。今回は鞍馬寺の満月祭(ウエサク祭)に初めて行けるかな?と時々、想っていたのですが・・・ご依頼関連等がやはり今回も優先のようですね。在るがままに・・・
   

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